ほしのやしろ TOMOKO

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相談/ヒーリング/天然石

記事一覧(673)

調和から外れた意識や壮年の化身とは

バベルの塔の話から、ホツマツタヱの中のハタレ魔大戦のことが浮かびました。ホツマツタヱは私が好きな古文書です。偽書とされていますが、とても理にかなったことも書いてあると感じています。ハタレ魔とは何か? 一言で言えば、
「調和から逸れた、意識や想念の化身」。  もともとは人。 けれど、恐れ、怒り、欲、支配欲といった感情が肥大化した時、
それらは“個別の存在”のように現れ、世界を脅かすようになったのです。  ハタレは、本来尊い力や技術を持ちながら、それを調和ではなく支配に使おうとした。 神世の秩序を乱し、天と地のバランスを崩す存在となった。 その結果、神々との大戦が起こり、粛清されたという神話が伝えられています。 けれど彼らは、単なる「悪」だったのでしょうか?答えはノー。八咫鏡でみると、中身は人間であったので、神は改心することを信じ、許した。🔥 ハタレ魔との大戦とは、私たちの内側の物語 ?ホツマツタヱに記される「ハタレ魔大戦」。 これはただのファンタジーではありません。 それは、まさに 人間の意識の崩壊と再生の物語です。  大地が荒れ、天変地異が起こり、心のつながりが壊れていく  神々は、人々の内側の乱れこそが原因だと見抜いた  最後には、“愛と和”の力が、ハタレの暴走を鎮めていった  この神話は言います。  「戦いではなく、赦しによって、世界は癒されていく」 赦しって統合のことなんですね。 🌍 いま再び、ハタレ魔の時代を私たちは生きている? 現代に目を向けてみましょう。 社会の分断、環境の危機、心の病

過剰な技術、歪んだ権力構造

分断された家族、国家、自己

これらは、ある意味で現代のハタレ魔とも言える存在。 ただし、私たちは“ハタレを通ってきた”存在とも言えるのではないでしょうか。 だからこそ、かつては「敵」とされたものを、
いま私たちは赦すことにより、抱きしめ、癒し、統合することができる。  💎 ハタレ魔とクリスタル 〜過去を澄ませる存在〜
以前、私はクリスタルと対話を試みたとき、
彼らがこう語っているように感じました。  「私たちは、かつて失敗とされた記憶をも、光に還すためにここにある」  ハタレ魔の記憶――
それは地球の中にも、私たちの中にも、潜在的に残っている波動です。 クリスタルは、そうした“方向性のズレ”の記憶”を清め、再統合する鍵”なのかもしれません。  地上と地中のバランスから生まれたクリスタル は内なる中心に戻るための「音叉」としての役割  ハタレの記憶を抱きながらも、そこに調和を見出す導き手   ハタレが象徴するものとは? ハタレとは、

「技術や力」を「魂の意図から切り離して使う意識」

「中心」から逸れた存在  つまり、ハタレは私たちの中にある
「魂との乖離」や「本質からの迷い」の象徴でもあります。 だからこそ、彼らと“戦う”のではなく――
再び中心に立ち返ることが、
新たな創造の鍵になるのです。  塔ではなく、神殿の泉を囲んで かつて私たちは、「塔」を積み上げようとしました。 バベルの塔のように、高さと外側の到達を追い求めて。 外へと積み上げるのではなく、内なる中心へ。比較や誇示ではなく、調和と共鳴

テレパシーのような、本質的な響きの交流へ  今こそ、ハタレの物語を“統合の神話”へ書き換えるときですね。✨ 再統合の時代に、私たちは立っている あなたの中にある、ハタレ魔の記憶。 それは、否定すべきものではなく、
再び中心とつながるための、通過点だったのかもしれません。 「未完了の歴史の再統合」を担うため。 塔を積むのではなく、
神殿を築くように、今ここから響き合っていく――

あなたの存在そのものが、新たな神話の礎となっていきます。  覚書のようになってしまいましたが、何か伝わると幸いです。お読みいただきありがとうございます。

バベルの塔は建てない

昨日、デスクにあるクリスタルと対話した際に、バベルの塔が浮かんだのです。私は太古の地球、太古の人々の様子が知りたいと願っていて、クリスタルと対話できることは、その欲求を満たしてくれることがあります。だから石が好きなのかな?とも思いますが…それはさておき、そのクリスタルはブラジル産だったし、中東産じゃないのになぜバベル?と思ったんですね。石の成り立ちを聞いたりします。そのクリスタルは地上と地中のバランスの兼ね合いで出来たことと、バベルの塔のイメージが浮かびました。バベルの塔は何かの比喩かなとも思いました。バベルの塔は、旧約聖書では、人間たちが天に届く塔を建てて名を上げようとしたことに対し、神がそれを阻んだという逸話です。今、よくよく考えると、そもそも人間に団結によって神に追いつこうとするのを神が怒って阻んだはずないなあと。それよりも、過去、アセンションしようとした過程で、方向性が宇宙と合致しなかったのだろうなあと。クリスタルは、そのような失敗だと思われる経験をクリアにする働きが強いのかもしれません。なので、浄化作用が強いともいわれる所以なのでしょう。そもそも、地上での頑張りをいたわってくれる存在でもあるのではないかな。さて話は戻ってバベルの塔。バベルは、塔です。天に高く建てようとした…それはつまり、統合ではなく力による支配を目指した結果、宇宙の流れから逸れてしまった可能性があるのではないかなと。おやおや。。。それって。今の社会状況とも似てる‥‥?塔が崩壊した後、人々の言葉が通じなくなり、異なる言語を話すようになった。これは、人類が愛による共感力、共鳴ではなく、分離や恐れへと転じた結果、愛による調和を失ったと捉えることもできると思いませんか。クリスタルが今回バベルの塔を示唆したのは、今こそバベルの塔の時代に失われた「ひとつの意識」を思い出す時期だからではないでしょうか。ただ、明らかにわかることはひとつの意識を思い出しても、、私たちがこの時代に創造するのは塔ではないということ。高めるではなく深める。まさに、クリスタルを媒介して、愛を形にするレムリアの神殿のように、中心に調和して統合する。地球の形が物語っていますね。愛の星として中心にエネルギーを集めていく。バベルの塔の話が浮かんだのは、分断から再統合への道を私たちが長い年月をかけて探ってきたからかもしれません。クリスタルは、その鍵を静かに内包している「調和の媒体」であり、失われた統一言語(愛)を思い出すための共鳴装置とも言えるのではないかなと思います。なぜレムリアの神殿はクリスタルなのかというのもわかってきました。このクリスタルはレムリアンシードでもないのですが、とても深いことを教えてくれました。これだから、石との会話はやめられません。この時代まで誰もが隠し持っていた独自の扉の鍵を引き出す。それぞれが新しい未来に羽ばたけるように、ほしのやしろはお手伝いできますこと、幸せに思います。ご縁に感謝いたします。

【期間限定】 ―太古から続く真実のあなたを思い出す―アースコード・リメンバリング

🌍アースコード・リメンバリング 🌎6月限定ワーク〜地球と響き合い、太古から続く真実のあなたを呼び起こす完全遠隔ワーク〜  私たち人間は、地球という星のあらゆる存在——大地、石、植物、虫、大気、光、そして水——それら全ての要素を内包した、可能性のかたまりとも言えますが、どれだけの人がそれを感じているでしょうか。その単純な見えている仕組みを見るだけでも、人間が地球というもののアセンションのカギを握っているとも見受けられます。私は20代のころ、寝入るとき、思うことがありました。私の体の悪いところを一つ治したら、世界は何か一つ良くなるかもしれない…? それがそもそも私なりの宇宙の捉え方、曼荼羅、フラクタルとしての考え方の原点だったと思います。それがスピリチュアルというものを知り、スピリチュアルは単なるこの世の中のシステムについて述べていることにすぎないという確信を得ています。 人間のDNAには、植物や動物と共通する情報が刻まれており、それは「自分という存在が、自然そのものと分かちがたく結ばれている」という事実を教えてくれます。 けれども、生きていく中で、私たちはいつしか「できること」「向いていること」を自分で限定し、可能性の扉を閉ざしてしまうことがあります。特に、社会の中で役割をこなしてきた方たちの中には、家族のため、子のため、そして生活のための仕事……と日々を惰性のように過ごしながら、本当の自分を置き去りにしてきた感覚を抱いている方も少なくないかもしれません。アースコード・リメンバリングは、地球とのつながりを通して、自分の存在価値を認識して、あなたがもう一度「本当の自分に気付く」ためのワークです。 世界を曼荼羅で表現したとき、その一つの模様があなたなのに、周りと同じ色を無理して出してませんか。せっかくの唯一無二の模様なのに、見えないなんてことになっていませんか。 🌱植物のように、今いる場所で根を張り、オリジナルな花を咲かせるために植物は「ここで生きる」と決めた場所に根を張り、自らのリズムでつぼみをつけ、やがて唯一無二の花を咲かせます。その仕組みは私たちの中にも組み込まれていますが、ほとんどの人が忘れてしまっています。 このワークでは、陰陽師ワークであなたとあなたの住んでいる土地と繋がり、あなた自身の地球と繋がると自然と発動する力を底上げし、そのほか私の持てるすべてのワークにて、その人の「アイデンティティ」と「オリジナリティ」が発動するように調和させていきます。 それは、得意なことをただ伸ばすだけではなく、不得意と思っていたり、短所だと思っていたことが素晴らしいことであると気付くようになったり、気にならなくなるので、地球上でのあなたという存在の可能性が開けてくるだけでなく、地球にとって唯一のあなたとなっていくのです。それは、「なぜその力が眠らせていたのか」「どんな封印があったのか」という人間としての深い経験に無意識下で触れながら、本来の自然なあなたの力を丁寧に思い出していくプロセスあなただとします。このワークはお申し込みになる人それぞれに違うワークとなるため、どのようなワークをしたという説明はありませんが、その人に必要な調和を、私とご縁のある楠による神聖なサポートと愛をもって起こしていくワークです。期間中は何回でもお受けいただきたいワークとなっていますが、2回目以降は1週間以上あけてからお申し込みください。 ✨軌跡を、奇跡に変えるために このワークの本質は、「青い薔薇のワーク」と同じく、これまでの人生の軌跡を、奇跡に変えることにあります。 けれども今回は、地球にインスパイアされたかたちで、それぞれが“この地に生きる意味”を思い出すサポートとして展開します。 地球が人間によって豊かになるように、あなたという存在も、あなたの手で豊かに育んでいけるのです。  🌸こんな方へ 日々の暮らしにどこか虚しさを感じている  自分をもう一度信じてみたいと思っている 周囲と比べて自信を失ってしまっている  自分にしかない何かを咲かせたいと感じている  地球や自然ともっと深くつながりたいと思っている あなたの中のアースコード(地球の記憶)を呼び覚まし、
この世界であなたという“花”を咲かせてください。  ここでいうアースコードとは、「レムリアンシード」のこと。通常、レムリアンシードはレムリアの記憶を持つクリスタルのことです。しかし、そのレムリアンシードも天空レムリアのある時代には存在していません。ゆっくり時間をかけてレムリアの叡智を地球が地球らしく形にしたものだと私は理解しています。今の時代、スターシードの私たち自身が自分たちの宇宙の叡智をゆっくり時間をかけて地球で顕現させていったもの(つまりその人独自の地球とのつながり=「軌跡」)を結晶化させていったもの、それをアースコードと名付けました。🌿アースコード・リメンバリングで見込める効果生きているのが幸せになる地球や自然との深いつながりを思い出し、自分という存在の根源的な価値に気づく  自分の「アイデンティティ」や「オリジナリティ」が自然と発動していく  押さえつけていた能力や魅力が、封印を解かれたように現れてくる  苦手だと思っていた部分が、実は自分にしかない才能だと気づける  日々の生活の中に、意味や喜び、充実感を取り戻せる  過去の体験(軌跡)が、奇跡として新たな価値を持ち始める  周囲と比較して自信を失っていた状態から、自分らしさへの信頼を回復できる  土地や空間との調和が整い、暮らし全体に安心感が広がる

自分を取り巻く世界(人間関係、仕事、体調など)が少しずつ変化し始める  「自分にしかできない生き方」を許し、育んでいけるようになる  ワークの流れ(限定特別価格✨1回¥11000)天文道の陰陽師ワーク&その他のヒーリングワークフォームでお申し込みご入金ご希望日の22時にワーク開始(なるべくゆっくりとできる日をお選びください)ご注意事項※このワークは医療行為ではございません。※ご本人様からのお申し込みに限らせていただきます。※精神疾患で投薬中の方、また未成年の方からのお申し込みはご遠慮いただきます。※お申込みいただいた時点でプライバシー、ポリシーに同意したと判断させていただきます。※ご入金直後からエネルギーが流れ始めますので、基本的にご入金後のキャンセルはお断りさせていただきます。✨お申し込みはこちら✨

自分軸で生きるということ 〜あの頃の私へ、優しくなるために〜

昨日、SNSでたまたま目にした投稿がありました。若いパパが、初めてお子さんを保育園に預けた日のことを書いていたのです。  その日は、子供がギャン泣きしてなかなか離れようとしなかったそう。 でもその様子を見て、「こんな僕でも、父として認識してくれてる。離れたくないって思ってくれてるんだ」と感動し、胸がいっぱいになったといいます。 それ以来、保育園への送り迎えが楽しみになったんだとか。 その投稿を読んで、私もふわっと幸せな気持ちになったのですが、同時に、ふとあの頃の自分を思い出しました。私も、子供たちを保育園や幼稚園に預けた時、ギャン泣きされました。 でも、私の中に湧いたのは「幸せ」ではなく「罪悪感」でした。  「泣いてるのに、無理やり預けて…私、ひどい母親なんじゃないか」 悪いことをしているわけではないはずなのに、なぜかそう感じてしまった。  そして私は、メンタルがやられてしまい、
昼間にそっと幼稚園まで様子を見に行ってしまったこともあります。 もちろん、門の外からです。何も見えないんですけどね、笑。  あの時の私は「自分軸」で生きていなかったな…と、今なら思います。  「自分軸」とは、自己中心とは違います。
相手の気持ちを尊重しながら、自分の感じ方・考え方も大切にすること。 自分が心から幸せだと思える選択をして、そのうえで相手の自由も愛おしく思えるような在り方。  でも私は、泣く子を前に、自分の選択を信じられなくなってしまった。 「この子は辛いのに、私は楽をしようとしているのかも」なんて、勝手に決めつけてしまっていたんです。 それはつまり、「子供の成長を信じていなかった」ということでもあり、 「私の選択=世界を信じられていなかった」ということでもあります。 相手の気持ちを汲むあまり、自分を責めてしまう。 そんな状態では、きっと誰の幸せにもつながらないんですよね。  今なら思います。 あの頃の私に、「大丈夫、大丈夫」と言ってあげたい。 あなたは一生懸命だったよ。 あの時のあなたも、愛だったよ、と。相手の気持ちがわかるだけに、「何かしてあげたい」と思ったその気持ちは、決して無駄ではない。 でも今思えば、それは相手を信じきれていなかっただけなのかもしれない――
そんなことをふと思った、ある日の出来事でした。

願いを叶えていくということは、自分と向き合うこと11

第11回:選択の中にある誓願の芽  今でも時々、自分に問いかけます。 「私は今、自分を大切にできているだろうか?」 毎日、自分が存在している空間の中で、 「これは私がやるべきか?」「他の誰かがやった方がいいのか?」 そんなふうに、悩むことがよくあります。  人生は、やるか、やらないか。 やらずに後悔するのは避けたいと思っています。 ……でも、やって後悔したことも、正直いくつもあるんですよね。  だけど、最近気づいたんです。 「悩む」ってことは、まだ“できていない”ってことなんだなって。  本当にできることって、
気づかぬうちに自然とやってしまっている。 迷いなく、呼吸するように。  だからこそ、「悩む」という感覚は、
分かれ道に立っているサイン。 そしてその分かれ道で、私たちは「どちらを選ぶか」という選択を迫られている。 私は思います。 ワクワクする方を選べば、それを“正解”にできる要素が人にはあると。  “正解”はあらかじめ用意されているものではなく、
自分が経験を通して見出すもの。 そしてその選択が、未来の自分を導いていく。 とはいえ、現実に直面すれば、誰でも揺れますよね。 私も、たくさん揺さぶられてきました。 でも、そうした揺れの中にこそ、
まだ見ぬ「本当の願い」や「誓願」が眠っているのかもしれません。 だからこそ、私は思います。 ヒーリングは、その“誓願”を見つめていくための手段の一つだと。 ヒーリングだけが答えではないけれど、自分の奥深くに潜っていく際に、
静かに、確かに、灯りをともしてくれる存在であることは間違いないと、私は感じています。お読みいただきありがとうございます。

願いを叶えるということは、自分と向き合うこと10

第10回:知らなかった自分と、出会っていく旅  私は、他人の考えていることが人よりもわかってしまうタイプです。 でもそのぶん、「自分のことを誰もわかってくれない」という現実が、ひどくつらく感じられる時期が長かったように思います。 でも今思えば、それはただ単に、 「自分が、自分の気持ちをわかっていなかった」からだったのです。 要するに依存心が強かった。 自分という軸を持って世の中を見ると、 実は世界は、自分の心の内側を映し出しているにすぎないということが、だんだんわかってきました。 自分の人生の舞台は、世の中というスクリーンに、
自分の内側を投影しているだけのシンプルな構造だったのです。  こうしてあの頃を思い返して文章を書いていると、
自動書記のように気持ちが溢れ出してきます。 「ああ、私、当時こんなふうに思っていたんだなぁ」
そんなふうに、書くことで自分を知ることができる。  思えばヒーリングを受け始めた頃も、
受けた後には毎回、感想を文章にしてヒーラーさんに送っていました。 すると、驚くほど素直な言葉が出てきたり、 自分でも「こんなふうに感じていたんだ」と気づかされたりしていたのです。  文章にすることで、自分でも知らなかった自分が浮かび上がってくる。 それは、まるで心の中に小さな泉が湧いてくるような感覚でした。 私にとってヒーリングは、ただ癒しを受けるだけではなく、
溜めていた毒を出し、澄んだ自分に出会っていくプロセスでもありました。 時には、ヒーリングを受けるたびに、
過去世で使っていたような能力がよみがえってくるような体験もありました。  それに気づいた時、私の中に大きな喜びが湧きました。 もっと能力を高めたい。
もっと自分の中のオリジナルな力を取り戻したい。  そう願った時、心の奥底から灯るような、 「希望」が芽生えていたのです。 そして今、ようやくわかります。 あの希望こそが、「誓願」に繋がる光だったのだと。  あの時「過去世からの能力」だと思っていたものの中には、
実は「今世でこそ使うために持ってきた力」もあったのです。  そう思ったとき、私はワクワクしました。
人生って、本当に何が起こるかわからない。 でも、だからこそ面白い——!続きます。

願いを叶えていくということは、自分と向き合うこと9

第9回:助けたい、でも——その先にあったもの  裏を返してみると、
自分を大切にすることと、他人を大切にすることは直結していると思うのです。  自分の気持ちを丁寧に扱うこと。 それは、相手の気持ちや存在意義を尊重することにも繋がっていく。 けれど私には、かつて「助けすぎてしまった」経験があります。  学校の役員活動。 家の中ではワンオペ。 頼れる母に助けを求めても、心は通わず、助けの手も差し伸べられない。 気づけば、心も身体も限界に達していました。  「助けて。誰か助けて。」  その叫びは、「願い」というにはあまりにも切実で、
まるで生きること そのものを賭けたような、
生命の危機的な悲痛な願いでした。  その頃の私は、こう思っていました。 「大人なんだから、自分のことは自分でやってほしい。」 「母なら娘を助けるべき。それは当然のことだ。」 これらの思いは、苦しさの裏返しで、
私自身が「助けてもらえていない」と感じていた証。 だけど、そう感じてしまうほどに、
私は自分を犠牲にしながら、他人を助けすぎていたのかもしれません。 (逆を返せば、私自身それだけ助てもらいたかったから、助けたいと思っていた、とも言えるのではないかな……) 本来、人にはそれぞれの課題があり、
誰かが代わってあげることはできない。 むしろ、「助けすぎること」で、
その人の本来の力や気づきを奪ってしまうこともあるんです。 ――本当に相手を大切にするというのは、その人の力を信じて、必要な時にそっと手を差し伸べること。  それは、自分を大切にするということと、同じことだったんです。 この気づきは、魂が震えて喜ぶような“誓願”とは真逆の場所からやってきました。 でもだからこそ、本当に大切なことが、はっきりと見えてきた気がしています。続きます。

願いを叶えるということは、自分と向き合うこと8

第8回:無理をしない、という選択  スピリチュアルな力を身につけ、人の心や状態が“見えてしまう”ようになったことで、私はある落とし穴にはまりそうになっていました。  それは、「無理をする」ということ。  相手が今どんな状態か、何を必要としているかが見えてしまうからこそ、
つい、自分の気持ちや体調を後回しにしてしまう。 助けたい、応えたい――その思いが強くなりすぎて、
自分の気持ちを置き去りにしてしまうのです。 一見すると、美しい自己犠牲のようにも思えますが、
無理をするということは、「出来ていない」ということ。 自分の器の限界を無視してしまうということです。 本当に大切なのは「自分に余白を残しておくこと」。  やれることを、やれる範囲で、丁寧に行うこと。 それが、自分の本当の望みを見失わないためのコツなのだと思います。 面白いもので、そうやって自分の心を大切にし始めると、
世の中も自然とそのリズムに整っていきます。 自分が無理をしない分、相手も自然に“自分を大切にする余裕”が生まれる。 これは、量子力学の観点から見ても説明できることで、
一方が無理をすれば、エネルギーのバランスが偏り、願いの軌道も歪んでしまうんですよね。  だからこそ、私は思うのです。 「願いを純粋に深めていくには、自分を丁寧に観察し、正直に向き合うことがとても大切だ」と。 そして、“無理をしない”という選択は、決して弱さではなく、愛の形のひとつなのだと、今なら胸を張って言えるのです。続きます。

願いを叶えるということは、自分と向き合うこと7

第7回:能力が導く、心の視点  エネルギーワークの講習会や、スピリチュアルな活動を通して、たくさんの方々と出会いました。 皆さん、家庭や仕事、日常をこなしながら、それぞれのペースで自分を磨いていらっしゃる。 中には、サイキックな感覚がとても高い方もいて、私は時々こう思っていました。「私の感じていることは、もしかして幻想なんじゃないか?」 そんな気持ちから、もっと能力が高くなりたいと願うこともありました。  でも 「何のために?」  その問いに、当時は答えが出せなかったけれど、今振り返ると、
私の内面は少しずつ、そして確実に変わっていったのだと思います。 子どもたちの話に、以前よりもずっと丁寧に耳を傾けるようになっていたこと。 相手の言葉の裏にある気持ち、表情の奥にある真実を感じ取れるようになっていたこと。  エネルギーヒーリングを学び、使えるようになっていくほどに、
私は「目に見えないもの」の中にある真実や美しさに、意識を向けられるようになりました。 それは、自分のためだけではなく「私に関わるすべての人が、穏やかに調和して生きられるように」
という願いへと、静かに形を変えていったのです。  能力とは、特別なものではなくて、
それをどう使うか。その「使い方の意図」にこそ、本当の意味があるのだと気づいた瞬間でもありました。  「軌跡」が「奇跡」に変わるのを見てみたい。
それが、私の新しい願いになっていったのです。続きます。