じぶんが受容できる時
自分を知る。
このテーマは生きる意味を見出す行為でもあり、希望である。
知るという意味は、ここでは頭でわかるといった意味合いではなく、腑に落ちる、安心する、愛が生まれるといった意味合いで使っています。
知るというのはどういうことかの定義は難しいです。
頭で知っているだけでは、気持ちが伴わないことが多く、結果、行動に繋がっていかないといったことがあるからです。
その反対に、
なんだかわからないけれど、わかった。
わからないけれど、とても腑に落ちた。安心した。
なんだかとても理解でき、すっきりした。
という体験、つまり、本当に知ることが出来た体験は、意識が変わるという体験となるのだと思います。
エネルギーワークやヒーリングを受けて、何が変わったかわからないけれど、なんだかスッキリした、という方はがその体験そのものです。
深い部分で「わかる」「知ることが出来た」という体験。
私自身の話をすれば、自分の人生がどういう意味合いがあるのか、何をしたいのかをずっと探求してきています。
掘り続けることで見えてくる部分がある。
以前のブログでも書いてますが、学生の私は物理学の教師になりたかったのです。
しかし、親から大学はあきらめるように言われ、自分で何とか掴み取った、教職課程のある短大は、入学後にカリキュラムが変わり、教職課程を取ることが出来なかったのです。
農学部であったため、未来の目的を無くしたまま、植物や動物の生態を学ぶ日々を過ごしました。
その過程で、造園会社に入社し、現場職人として植物と向き合う日々が訪れました。
そして、今。
覚醒の苦しいプロセスを経て、辿り着いた、見たくない自分たち。
その中で、中国大陸に居た、長い間、地縛霊として存在していた自分の一部分を取り戻した経験を今回は語らせていただきます。
普通は気付かない、こんな体験。
そもそも、他人から見たら、噓でしょ?という、話ではあります。
それに気付いたのは、ある先生のリーディングがきっかけでした。
私はアジアでの前世が多いと言われて意外でした。
自分で思い出せる前世は、エジプト、南アメリカ、ヨーロッパ、日本、と多岐にわたっていたからです。
今から思うと、その先生は、苦しくて思い出したくない、がっちりと封じ込めている部分を読み解くことのできる方だったのだと思います。
(多くの方からみると、私は日本の陰陽師系の巫女世が強く表面に出ている人みたいです。
これは自分ではわかりませんが、リーブス関係の方々が、10人が10人そう仰るので、そうなのだと思います。
面白いもので、自分も、陰陽師講習を受けてから、技が自然に出来てしまうので、どこかでわかっていたのだと実感しています。)
私はアセンションに向けて意気込んで地上に降りてきたものの、地球の波動の重さに身動きが出来なくなり、何度も足を取られて、おぼれていく。
こんなはずじゃなかったと言って、何度もチャレンジするも、この重さに身動きができない。
今は、そんな過去世も背負い、自暴自棄で生きている、と。
でも、やりたいことがあるのでは?
簡単に要約すると、そういうことでした。
思い当たる節もあり。
そこで、一番悲惨な中国での過去世を思い出し、以前(その時からもう7年も前)の別の先生のトランスのセッションで見た砂漠のイメージを思い出したのです。
そこで見た砂漠のイメージは、ある銀河神界の方にトランスした体験で得たイメージでありました。トランスしたとき、そこを思い出さないか?と私に問いかけてきていたのです。
その砂漠は中国のものであり、私の一部がまだそこで2000年以上の時を超えてくすぶっていたことがわかってきました。
全側面の封印解除を受けた時、その記憶は紀元前525年のものだというところまでわかったのです。
すぐさま私はさ迷っている自分を呼び寄せ、統合しました。
現世の自分が自暴自棄であったのは、その地縛化している自分の現われでもあったことがわかってきました。
その何年か後の、また違う先生とのセッションで、何故地縛霊となるのか?という話をお聞きしました。
普通は宇宙はスピリットから生まれ、おおもとのスピリットから、私たちの魂は分かれて生まれていく。そのスピリットを創造主と呼んだりするのですが、
私たちの魂は、人間として生まれている以上、地球に属しています。
その中で、輪廻転生というリズムにのっとって自然のサイクルがあるわけですが、そこに乗れない(地縛する)ということは、自然と繋がっていないということだと。
その時はただ話を聞いていて、頭ではそういうことなんだなと知りましたが、腑に落ちてなかったのです。
そこで、最近、自分は何をしたいのかを掘り続けているうちに、専門的に勉強したのは農学、植物のことでした。
でも、花屋になりたいとも思わなかったし、それを仕事で続けていこうとも思わなかったので、何のために農学だったんだろう、と悩んだんです。
私はそこで気付いたのです。
改めて、私は自然と繋がるためだったんだ!
と。
農学を学び、造園会社で働いた経験と、もともと土を触るのは好きであったので、今でも家庭菜園や庭仕事を趣味でしています。
それはもう私の生活の一部であり、欠かすことのできないルーティーンです。
やりたいと思ったけれど、やらなきゃいけないと思ったことはないんですよね。
私にはそれが必要だったのです。
そこで私はようやく腑に落ちたのです。
腑に落ちるってこういうこと、と、自分自身の重要な一部分を安心して受容できた経験となりました。
メニューには出していないのですが、対面で、本当のあなたを引き出していくワークをカウンセリング形式で行っていこうと考えていますが、受けたい人いるかしら。
場所は湘南付近となります。
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