あなたはどれだけ自分の視点をもってますか



私たちが地球の一部分であることは周知の事実なのですが、それを実感して生きている人はどれだけいるでしょうか。


私は世界をフラクタル的に見るのが好きで、コラムにも書いています。


宇宙の中の地球、地球の中の人間。

この宇宙のシステムのパターンは、曼荼羅のように似たような模様を繰り返して大きくなって、または小さくなっているのだと仮定すると、人間関係もそれに当てはまるのではないかと考えるようになりました。


大きな宇宙という曼荼羅の中、私という小さな模様は、どんなに小さくても存在しています。


母との葛藤に悩んでいた私の人生ですが、

母を恨みたいわけでも母を切り離したいわけでもないことに気付くのです。


私は、私として何を大切にしたいか。

私は何に喜びを感じるのか。


私は、ただ、「自分らしさの密度」を上げていきたいということ。


どれだけ本来の自分自身と一致しているのか


ということを突き詰めていきたいだけではないだろうか。


それだと、母の目線から見た「私」では生きずらいのです。

私自身の眼から見た私でないとダメなわけです。


でも、人間とは複雑で、自分のことは良く見えないから、

母から見えた私を一つの指標とする必要もある。


万華鏡を思うとわかりやすいのですが、

万華鏡は一つ一つのパーツは何一つ変わってはいないのですが、重心を変えることで、様々な模様になりますよね。

それと一緒で、自分自身が中心になっている模様というのを見出すのがポイントかもしれません。


重力モデルを考えると、重力は物体を引っ張るだけではなく、重力は空間そのものを曲げる作用もあります。

人は自分自身と一致してくると、引き寄せる力も増すと考えると納得です。

重力が増すので、空間を曲げることができるようになるのです。


曲げるというのは、例えば、

「母との関係が苦しい」

という一つの視点の現実から、

その出来事を多角的に見ることができるようになり、「苦しい」という視点だけではなくなってくる。

問題そのものは同じなのに、世界の見え方が変わるのです。


自分軸の濃度を濃くする、つまり覚醒していくのは、

自分自身の質量、つまりは重力エネルギーが変化するということ。


決して外側が変わるのではないことが、フラクタル的に見ても曼荼羅などからわかりやすい。


変化を求めるなら、自分を変えていくというというのがお分かりいただけると思います。


私は自分の視点を取り戻したいとずっと思ってきたのかも知れません。

だからこそ、人が本来の視点を思い出す瞬間に立ち会いたいと思うのかもしれません。


母ということに捉われていると、親株にしか目がいってないんですね。

親株ばかりに目がいっているから、自分じゃない気がするし、自由じゃないといったことが起きているだけなのだとしたら。


本当の私はというと、綿毛が生えた種かもしれないんです。

好きな場所に飛んでいけるし、好きな場所に根を下ろし、独自の芽を出せる。

そんな準備が出来てるからこそ、私は母とは違うと思い始める。

冷静に考えると、自然なことですが、様々な思い込みや囚われから、一筋縄ではいかない、循環の詰まりが起きている。


そもそも親株がなければ種がない。

親を恨みたいわけでも切り離したいわけではなく、

自分が自分としてありたいだけの単純な自覚ができにくい人、

つまり、私のように、

人に合わせて生きてしまうような人に起こりうる、自分が自分として生きるための課題だったりするのかもしれません。


そんな人にとって、自分だけの芽を出すことは怖いことなのかもしれません。

しかし、自分という芽吹きをするために生まれてきたと言っても過言ではないこの時代です。

限られた時間を自分としてどう生きるのか。

この人生どこまで自分というものを突き詰めることができるのか。


自分というものの存在の許可をどれだけ出していけるのかが、これからの羅針盤の役目になるであろうと思います。

ほしのやしろ TOMOKO

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