願いを叶えていくということは、自分と向き合うこと9
第9回:助けたい、でも——その先にあったもの
裏を返してみると、 自分を大切にすることと、他人を大切にすることは直結していると思うのです。
自分の気持ちを丁寧に扱うこと。
それは、相手の気持ちや存在意義を尊重することにも繋がっていく。
けれど私には、かつて「助けすぎてしまった」経験があります。
学校の役員活動。
家の中ではワンオペ。
頼れる母に助けを求めても、心は通わず、助けの手も差し伸べられない。
気づけば、心も身体も限界に達していました。
「助けて。誰か助けて。」
その叫びは、「願い」というにはあまりにも切実で、 まるで生きること そのものを賭けたような、 生命の危機的な悲痛な願いでした。
その頃の私は、こう思っていました。
「大人なんだから、自分のことは自分でやってほしい。」
「母なら娘を助けるべき。それは当然のことだ。」
これらの思いは、苦しさの裏返しで、 私自身が「助けてもらえていない」と感じていた証。
だけど、そう感じてしまうほどに、 私は自分を犠牲にしながら、他人を助けすぎていたのかもしれません。
(逆を返せば、私自身それだけ助てもらいたかったから、助けたいと思っていた、とも言えるのではないかな……)
本来、人にはそれぞれの課題があり、 誰かが代わってあげることはできない。
むしろ、「助けすぎること」で、 その人の本来の力や気づきを奪ってしまうこともあるんです。
――本当に相手を大切にするというのは、その人の力を信じて、必要な時にそっと手を差し伸べること。
それは、自分を大切にするということと、同じことだったんです。
この気づきは、魂が震えて喜ぶような“誓願”とは真逆の場所からやってきました。
でもだからこそ、本当に大切なことが、はっきりと見えてきた気がしています。
続きます。
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