願いを叶えるために自分を知る2
第2回:私の「普通」は、他の誰かの「特別」だった
「私は普通の家庭に育ちました」と言いたいところなのですが、 今となっては“普通”という言葉ほどあいまいなものはないと感じています。
人それぞれの「当たり前」は、育ってきた環境によって大きく異なるものです。
私は埼玉県に生まれ、当時は父方の姓を名乗っていました。
けれど、私が2歳の頃、母が三姉妹の長女だったこともあり、父が母方の姓に入り、養子縁組がなされました。
そのタイミングで、私たち家族は母の実家である神奈川県に引っ越し、祖父母との同居が始まったのです。
私は母方の家系にとって初孫で、それはもう可愛がってもらったそうですが、 その裏には過干渉という側面も少なからずありました。
私自身は天真爛漫な子どもだったようで、それが裏目に出ることも多く、 特に厳格だった祖父からは、「扱いにくい子」として見られていたようです。
基本的に優しい人ではありましたが、怒鳴られた記憶もありますし、祖父に気を遣う母からも、
「静かにしなさい」「こうしなさい」
といった過度な規制をかけられた場面が、今でも心に残っています。
そんな家庭環境の中で、 私の中にじわじわと根づいていった価値観があります。
それは 「良い子でいることが一番」。
でも今思えば、この「良い子」も、「普通」と同じくらい曖昧な言葉です。
誰にとっての「良い子」なのか、どこまでが「正しい」のか。
曖昧だからこそ、私はその枠に合わせて、自分を小さくたたんでいったのかもしれません。
天真爛漫だった私の「やりたい!」という衝動は、しばしば叱られる対象でした。
いつの間にか、自分の本心を抑え、「良い子」を演じる日々が始まったのです。
とはいえ、私の救いだったのは(と今なら思えること)は家では母に反発できたこと。
本音をそのまま言葉にできる強さ…天真爛漫さ?が私にはありました。
けれど外の世界に出れば、私は母の物差しで物事を測ってしまうようになっていました。
「これは母にとって正しいと思えることか?」 そんなフィルターが、知らず知らずのうちに私の選択基準になっていたのです。
だからこそ、私が人生で最初に本気で願ったことは、 「家から出たい」ということでした。 ただただ、自分のやりたいように生きてみたい。 その一心でした。
続きます。
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