自分へのいたわり
こんにちは。
豪雨で被災された方々お見舞い申し上げます。
神奈川も雨が続いています。
明日明後日には梅雨明けして欲しいと感じる今日この頃です。
畑のカボチャが雨続きで半分腐ってしまっています。水枯れも困りますが、ありすぎても困ります。
何ごともほどほどがちょうどいいのかもしれません。
しかし、皮肉なことに、カボチャは伸びすぎていたので、半分くらい腐ったほうが場所的にはちょうどいい(^_^;)
宇宙は完璧だと言いますが、目に見えてくるものは本当に完璧で、感じ方は捉え方次第かなとも思ったのです。
私も先月半ば過ぎから大浄化で、体調がイマイチでした。
自分自身で何もかも進んでいくつもりで邁進してきましたが、ここにきて、自分でストップをかけまくったようです。
停滞してるように思いましたが、自分で解決できるという確信から、自分自身へのワークに取り組んできました。
そうしたら、うちの主人が模造刀を買ってきて、それを見た私は、何故かぶち切れちゃったんです。
自分でもびっくりしたぐらい、模造刀を見た瞬間に怒りが止まらなくなっちゃったんです。
何故だろうと内観しました。そうすると、寝入りバナにイメージが浮かんできました。
少し前の武士であった自分?の死に様を思い出したんです。
霊視して切腹場面が見えた真面目一直線で頑張る人たちに対して、切腹行為(自虐)はしちゃダメよ、とか言ったりしていたんですが、自分自身へ言っていたと気付いたという。。。
他人は鏡ですね(^_^;)
似たもの波動同士で惹き合っているとは正にこのことでした。
私の場合、本当に切腹じゃん!
って。
その時のやるせない気持ちとかがグーっと込み上げてきて、こんなに真っ直ぐに自分を信じて生きてきたのにこれかよ、みたいな。
まぁ、重い波動なんですが、武士って潔さもあり、重さの中にものすごく軽い波動というか、光?愛?も感じたのです。
今世、自分を信じる事が出来ず、人を見ては羨んで、でも、それも何か違うと気付き、スピリチュアルを学び、自分を信じる事を選び、今ここに居たのですが。武士の時代、その自分を信じた事への多少の後悔と恨みが浮上したわけです。
何か刺された記憶はあったものの、自分で刺したんじゃん、みたいな。
いや、なかなか、武士って深い……
たぶんこれ、自分でしか癒せないと感じました。
逆に、自分だからこそ、癒せる、とも。
武士は、明日の自分は死ぬかもしれないと思って生きているわけです。
もっというと、数分後に角から出てきた刺客に殺されるかもしれないと、覚悟を持って生きているわけです。
その分、生きるという事に真っ直ぐであり、真剣だったんですね。
それは、今の私たちにも言える事でもあると感じました。
今のこの一瞬を真面目に楽しく生きるという事。
今、やれることをやりたいよね、って。
浮上してきた武士の自分に、その時自然に出てきた言葉をかけたんです。
よく頑張ったよね私、辛かったよね
何も心配することなく平和に生きたかったよね
でも、真っ直ぐ生きたことは間違いじゃない
もう、今ここにいるから大丈夫
すると、フワッと身体が軽くなる体感があり、少し癒された感覚がありました。
自分で自分を認めることの難しさと複雑さを実感しています。
武士の自分が消えることはありませんが、今まで足枷のように感じていたその過去も、大いなる希望と変わっていく様も感じられています。
前も書きましたが、辛い体験は失敗ではなく、大いなる希望と可能性に変化していくものなのだと思います。
今の自分が変わると、過去の捉え方も、もしかして過去自体も変わってくるのかなと思いました。
私の場合は極端な例ですが、過去世を思い出さなくとも、自分に日々声をかけていたわるという行為は、今、とても大切だと感じています。
しかし、模造刀を夫が買うっていう現実を作り上げる自分って、、、って苦笑いです。
自分はコミカルに現実を作るのが上手?なのかもしれないと、褒める事にします。
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