愛とは、ただ在る

おはようございます。
緊急事態宣言が全国的にも解除され、見た目に世の中が少しずつ動き始めますね。

ただ、今までの在り方ではなく、変化をした世の中になっていくのだなぁと感じています。

前回、タイムラインのこととか書きましたが、まぁ、なかなか。笑
毎日、上がったり下がったりを感じるので、私もまだまだだなぁと実感しています。

自分の在り方というものを問うことが出来た自粛期間でした。
家族が狭い家の中に始終いると、何かと摩擦が起きたりしましたが、摩擦の数だけ、私の中が乱れているんだなぁと実感もしたわけです。

色々ありますが、私は母という立場なので、日常で、「常識」とか、「正義」を振りかざして物を申す機会があったわけです。

これ、良い悪いじゃないですけど、あまりよろしくないですね。汗
自分がいかにニュートラルじゃないかを実感したんですよねー。

例えば、子どもたち、昼夜逆転しがちで、真夜中でも起きていたりして。

早く寝なさい!

とか言うじゃないですか。
なんで?って、真夜中だからなわけですが、
真夜中=寝る時間
という固定概念ガチガチな自分に気付いたりするわけです。

で、アクションを変えたわけです。

子どもが起きて時折出す音に、私が起きたりしていたので、それを素直に言ったんですよね。
頭ごなしに否定する感じではなく、私が実際に寝れないという事実を、素直に伝えたんです。

私は明日は〇〇をするので、そのためにもグッスリ寝たいんだよーって。

そうしたら、現実が変わったんですね。子どもたち、相変わらず起きてますが、静かにしてくれるようになったり、早く寝る日が出てきました。

くだらない例ですが、ちょっとしたことで、調和が取れるんだなと実感した出来事でした。
愛を基に調和を取るというのは、ごくごく自然な流れなのだと感じました。

前に、呪いもギフトと書きましたが、宇宙の法則なんですよね。
与えたものが返ってくるし、自分が持っているものが具現化する。
具現化の仕方はその人によって変わるので、見えてる世界はそれぞれみんな違うんですよね。
なぜかって全て自分の中にあるからなんですよね。

私は知りたがりで、全てが知りたいと思ってこの自粛期間、時間とエネルギーが許す限り、本を買って読みまくったんです。
とてもためになりましたが、気付いたのは、本を読んだりするだけでは、何も得られないと感じたんです。

というのも、何度か深い瞑想状態に入り込んだ時、私は全てを知っていたからです。
全てを知っていて、これはツライ記憶だからと瞑想中に、瞬時に自ら蓋をするように、現実に逃げた日もありました。
瞑想中に逃げるということは、これが、自ら覚醒していかないと選択した瞬間という感覚でもあり、覚醒ってなかなか厳しいなぁと実感した経験でもありました。

なので、外からの情報は知らなくてもいいと思いました。
外からの情報は、自分が変わり、タイムラインが変われば別物になるからです。
私が必要な情報ではなくなるからなんです。
ただ、本を読むことは自分の中にあるものとの答え合わせのように楽しむことは出来ました。

自分の蓋をした部分が緩んでいるのもありますが、まだガッチリ閉まっていて、そこを抜け出そうともがくと苦しくて苦しくて。

ようやく、私も、自分の中の深い部分で調和を取ろうとし始めたんでしょうね。
本来の愛と光に基づく調和の在り方を思い出しつつある気もします。

光が当たれば陰も出来ます。それをジャッジする必要もないんですよね。

愛というものも、愛情として3次元的に表現するとかなりバラエティに富んだ種類があります。
なので、愛情というのは本来の愛とは違うのだと自覚できる時代になったんですね。

愛って、何と言われると、ただ、そこに在るだけ、ただ存在しているだけなんだなぁと思います。

ただ在るだけ。
そして、それを認めるということを学ぶために、私たちはひたすらバラエティに富んだやり方で映し出してるだけなんですね。

愛を光にも闇にも見立てて。

なんだか、今ここに自分が在るという概念を愛によって自分が作り出しているだけなんですね。
どう在りたいか、という自問自答をしてるわけです。だから、限りなく自由なんです。

なんだかとてもシンプルです。

外に意識を向ける時代は終わったのだとふと感じた期間でした。
TOMOKO ANDO

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