こじらせてるものから抜ける

おはようございます。
イリデセントにお越しいただき、ありがとうございます。

先日の台風の被害を受けた方々に心よりお見舞い申し上げると共に、少しでも早い復旧を祈らせていただきます。

自然の力には抗えないと言いますが…
それと同時に、人間対自然という構図自体を終わりにする時なのかなとも感じています。

先日はつなぐ魂の光彩の一斉ワークでした。
早々にご感想をお寄せいただいた方、ありがとうございます。

レムリア神殿イベントも来週の月、火曜で行います。今回は、新しい自分として生きていくための気付きを促す目的で行います。
どうぞ、ご参加くださいませ。


私たちは、「自然な自分」に抗えないのだと思います。
自然な自分、つまり、本来の自分です。

自分の喜びとは関係ない事をして生きていくのは、これからはたぶんムリ。

でも、ほとんどの人が、今世、過去世でこじらせてるので、なかなか本来の自分を受け入れられず、素直に生きていません。

こじらせてる姿は、ある意味、充実していたり美しく見えたりしますし…
ドラマチックとも言えるかもしれません。
こじらせながら必死になってる姿…それが生きてるって実感する人がほとんどかもしれないなぁ、なんて思いました。
抵抗してる自分は、頑張ってる!!って感じるし。

私も拗らせてる自分に酔い、頑張ってる気になっておりました。
こじらせている自分=悲劇のヒロイン、です。

霊的に言えば、こじらせ続ける状態は、底無し沼にハマってる状態。
底無し沼から這い出ようともがき、考えてる姿はすご〜く頑張ってるように見えるから、ずっと沼にハマってようって勘違いしちゃう人もいるってこと。
そこじゃないんです。


本当に沼から出なきゃ。

よく見ると、沼って底無しじゃないじゃん!
って気付きました。

自分の演出方法を変えて生きていかなきゃって気付きました。
演出方法を変えるとは、生き方を変えていくこと。

この世界に入り、こじらせているものが外れていき、劇的にほぐれてきたのを最近感じました。

こじらせてるものが外れると、変な抑えがなくなるので、方向性を見失ってしまうように感じてしまうんですよね。
今までは底無し沼から出ようという事にしか意識を使わなくて良かったのが、沼から出たら、どこにでも歩いていける。
さあ、どこに行く?みたいな。

ヤル気がなくなっているように感じるのです。
360度、東西南北、どこへでも行けるのに。

意識的に自由に創造できる状態だと認識できず。


そんな時、何も出来ていないと思うより、自分が今、ここに生きていて、何かを願うならば、そのエネルギーってきっとその方向に動いているはずだ、って感じました。


人は、意識で出来ています。
物質的に何もないように見えても、結局、意識の範囲、気持ちが全てなんですよね。


なんにも無い

と感じる瞬間があったなら、それは、何か拗らせていたものが外れた時なのかもしれないとも思いました。

虚無に襲われそうになったとき、新しい始まりかもしれません。

ストレス無く、なんにも無い状態なら、なんでも出来るのだと思ったのです。


TOMOKO ANDO

あなたの幸せの可能性を引き出すお手伝いをさせていただきます。
あなたの人生はあなたが主役です。