アセンションについての続き
本日もイリデセントのブログにお越しいただきありがとうございます☆
昨日の話しの続きです。
古代エジプトの神話は肉体を持ったままアセンションを促す方法だと書きましたが…
たぶん、アセンションを促すには、錬金術が絡んでいたのだと思います。
たまたま借りていた伊勢神宮の本に、天照大御神の記述があり、天の岩戸開きのことも書いてありました。
ごく普通の事しか書いてなかったのですが、そんな視点で読むと、まさに、アセンションの話しだ…!
と感じてしまいました。
天照大御神は、魂部分の自分。
素盞嗚尊は、人間部分の自分。
全ての人において、本来の自分自身は、唯一無二の天照大御神なのだな…
と思いました。
自分の生きる世界を照らせるのは自分のみ。
岩戸に隠れたままでいいのか?という感じ。
岩戸に隠れたままじゃダメだよね?
って、自分の中の思金神は考えて、仲間を集めて、あーでもない、こーでもないって、必死になってる。
っていうところですかね。
タヂカラオは岩戸の前でスタンバってるのに、いや、まだちょっと待って、開けないで!って指示を出してる自分もたくさんいたりして。笑
自分の中の天照大御神を呼び出せた時、やっと自分の世界が見えてくる!
って思いました。
アセンションって、自分の宇宙へのアクセスの問題かな?とも感じてます。
こう書いちゃうと、情緒も美しさも欠ける感じですが、アクセスするには、純粋な愛があってこそなのだとも感じてます。
それぞれの天照大御神へのアクセスの道のりが、それぞれの究極の美しさだとも言えるのかなと思ったのです。
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