自分の中の観音を目覚めさせるには
観音というと、何か宗教的なものを思い浮かべる人が多いと思います。
私も以前はそうでした。体を壊して、何気なく観音のマントラを唱えたら、一瞬体が楽になった経験から、観音って何だろう?と思ってきました。
一般的には慈悲深い仏様として知られていますが、今となって、 私にとって観音とは、自分の中に存在しているものだと思っています。
それは私に限ったことではないと思って、このブログを書かせていただきます。
それは本で学んだことでも、 誰かに教えられたことでもありません。
私自身の人生の中で、 少しずつ気付いていったことでした。
思えば私は、身体を壊した日から、 自分を治す旅を始めました。
原因もわからない。 病院へ行っても原因不明。思うように回復しない。 身体が思うように動かない。
どうしてこんなことになったのだろう。 何とか元に戻りたい。
そんな思いで、さまざまなことを学び、 探し続けていました。
そして最終的に辿り着いたのが、 スピリチュアルの世界でした。
今振り返ると、 病気を治したかったはずなのに、 本当に探していたのは、 自分自身だったのかもしれません。
そんな中で、 最初に私の心に響いたものの一つが、 観音のマントラでした。
当時は、 なぜ観音だったのか。 なぜその言葉に惹かれたのか。 よくわかりませんでした。
けれど、あれは偶然ではなく、 必然だったのだろうと。
なぜなら私は、 その時から観音の道を歩き始めていたからです。
自分を救うために、人は、観音や、菩薩になるのではないかと 私は気付き始めたのです。
誰かが私を救ってくれるのを待っていても、 本当の意味では救われないことにも気付いて行ったからです。
もちろん助けてくれる人はいます。 支えてくれる人もいます。
私も様々に助けてもらい、ここにいます。
しかし、 私の悲しみを感じることができるのは私だけ。
私の苦しみを知ることができるのも私だけ。
私の本当の願いを聴くことができるのも私だけでした。
だから私は、 あえて観音にならなければならなかったのです。
自分のために。 自分を救うために。
観音とは、 音を観ると書きます。
怒りの音。 悲しみの音。 孤独の音。 嫉妬の音。 喜びの音。 希望の音。
それらを良い悪いで裁くのではなく、 ただ聴いていく。
ただ感じていく。
すると不思議なことに、 敵だと思っていた感情が、 自分を守ろうとしていた声だったことに気付きます。
苦しみだと思っていたものが、 本当の願いへ向かう入り口だったことに気付きます。
長い間、 私は観音とは遠い存在だと思っていました。
でも、 観音とは、 誰か特別な聖者のことではなく、 自分の声に耳を傾ける姿勢そのものなのではないかと、今はそう思うのです。
自分を知ろうとすること。 自分を受け入れようとすること。 自分を愛そうとすること。
それはきっと、 誰の中にもある観音の働きであり、ものすごくシンプルな宇宙の仕組みだと思います。
私にとって観音は、 寺院の中から始まったのではありません。
身体を壊し、 人生に迷い、 苦しみ、 それでも生きようとした日々の中から始まりました。
観音のマントラとの出会いは、 その始まりを告げる合図だったのかもしれません。
あの日から私は、 少しずつ、 自分の声を聴きながら生きるようになりました。 そして今もなお、 観音の道を歩いています。
自分の音を聴きながらしか、自分というものが目覚めることはないのです。
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