魂の地図
曼荼羅は魂の地図
私は、魂というものは人として生まれる時に形成されるものだと感じています。
幾度もの人生。 その中で得た経験。 喜びや悲しみ。 達成できたこと。 成し遂げられなかったこと。 その全ての記憶の中から、 今世に必要なものだけを選び出し、 ひとつの曼荼羅のように組み上げたもの。
それが魂なのかもしれません。
私たちはよく、 「前世の課題を乗り越えるために生まれてきた」 と言います。
確かにそれも一つの側面でしょう。
けれど私は、 それだけではないと思うのです。
魂は、 何かを清算するためだけに生まれてくるのでしょうか。
むしろ、 人として成長すること。
未知の感情を味わうこと。 新しい愛を発見すること。
そのために生まれてくるのではないでしょうか。
だから私は、 多くの人が何かを得ようと必死になる気持ちもわかります。
お金。 能力。 知識。 評価。 安心。 愛。
私自身もそれらを求めて生きてきました。
そして時には、 愛をお金に置き換えて探したこともあります。
お金は大切です。 今の時代を生きる上で必要なものです。
けれど、 本当に求めていたものは何だったのでしょう。
今、本当に求めているものは何なのでしょう。
私たちが求めているのは、 お金そのものではなく、 その奥にある愛なのかもしれません。
認められたい。 安心したい。 存在していていいと思いたい。 大切にされたい。
そして、 自分自身を大切にしたい。
その願いの奥には、 それぞれの魂が持つオリジナルの愛があります。
私にとっての愛のひとつは、 「聖域を尊重すること」 です。
私という存在の聖域。 あなたという存在の聖域。
その境界を大切にしながら、 互いを生かし合うこと。
それが私の魂が求めている愛の形のように感じています。
私には強烈な記憶として残る過去世があります。
正義を守ろうとして闇に堕ちた記憶。
仲間を守ろうとした記憶。
誰もが救われる道を探した記憶。
その全てに共通していたものがあります。
それは、 「誰かを守りたかった」 という願いです。
けれど今振り返ると、 その人生たちが私に教えてくれていることがあります。
それは、 一番守らなければならなかったのは、 自分自身だったということです。
自分を失ってまで誰かを守ろうとすると、 私という世界が消えてしまいます。
私の視点。 私の感性。 私の喜び。 私の愛。
それらが失われる。
すると、 世界からひとつの豊かさが失われてしまうのです。
私という世界が豊かであること。 それは決して利己的なことではありません。
なぜなら世界は繋がっているからです。
ひとりの笑顔が誰かを救い、 ひとりの優しさが連鎖し、 ひとりの勇気が未来を変える。
フラクタルという言葉があります。
部分の中に全体が映し出される構造です。
一枚の葉の形が木全体と似ているように、 私たちの内側もまた、 世界全体と響き合っています。
私は長い間、十一面観音にご縁を感じてきました。
外側にある十一面観音と、 私の内側にある十一面観音。
その二つが響き合うとき、 私の世界は豊かになります。
十一面観音は、 あらゆる方向から世界を見つめる存在です。 喜びも。 悲しみも。 怒りも。 慈しみも。
全てを含みながら、 なお愛そうとする存在。
もしかすると、 私たち一人ひとりの魂もまた、 それぞれ固有の観音を内側に持っているのかもしれません。
そしてその姿こそが、 魂の曼荼羅なのではないでしょうか。
曼荼羅は宇宙の姿と言われますが、 決して完成図ではないと思うのです。
そして、 正解でもないと思います。
それはそれぞれの魂が描いた地図だと思いませんか。
どこへ向かうかを決めるものではなく、 「私は何を愛したいのか」 を思い出すための地図。
あなたの中で今、何を思い出そうと曼荼羅の地図を広げるでしょうか。
私は、私の中の十一面観音が、 フラクタルのように世界へ響いていく。
そして、 あなたの中の何かもまた、 世界へ響いていく。
私たちはそんなふうに、 互いの曼荼羅を映し合いながら生きているのかもしれません。
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