自分を受け入れる
前の記事で書きましたが、自分って何?ってなると、今まで否定していた自分が出てくるわけで。
私の場合は、🛸見たり、幽霊見たり、なんだかわからないけど、妖精みたいなものを感じたり、人や動物の気持ちがわかったり。
説明できない、立証できないことがちょっと「見えて」しまう、変な自分を認めることから始めなきゃいけなかったんです。
でも、胸張って言える事ではないし、こんな事、普通に話していたら、「おかしな人」です。
私は、そういう、おかしな人には見られたくない、と思っていました。
今でも、おかしな人には見られたくないと思っちゃいますが、どうあがいても、それが「私」なんですよね。
色々と、自分でない部分が取れてくると、ますます顕著に表れてくる自分。
世間一般にいわれてる「普通」の部分は空っぽになっていく感じですが、世間一般に「受け入れがたい」部分の自分がどんどんわかっちゃう。
うーそーだー
ってあがいても、1番自分がウソではないことはわかってる。
やっぱり?
みたいな。
でも、世間一般的に認められてない事で自分をリスペクトするのは、本当に難しい。
頭がおかしくなったのか、何度も振り返って考えて、答えが出ないから、また、考える。
そんな時、ある人に、
「大黒様みたいな、太ったおじさんがサポートに入ってるよ」
と言われて、あぁ、やっぱり、と腑に落ちたりして。
若い時から、ウトウトすると、叱咤されたり、わーっと何かを助言してる、ちょっと口の悪い感じのおじさんの声が聞こえる事があったんです。
時にはお経が聞こえたり。。。
太ったおじさんかぁ。
と納得して。
自分を受容するとき、ある程度、「知る」事で癒されて、先に進んでいけるのだなと感じます。
「知る」ことって、癒しにもなるけど、ちょっと怖かったりもします。
怖いって感情は、ある意味、拒否ってる事。
自分を知れば、未来が拓けていくとわかってるのに、怖くて拒否してるって、人間(え、私だけか?)ってめんどくさい〜って思います。
いい加減、素直に受け入れれば、身体を壊すことも無かろうに…
と、我が身のことながら呆れる感じです。
アセンションの流れの中で、自分を取り戻す過程は、ある意味、今まで積み重ねてきたものが崩壊する流れでもあると思うので、怖いのもあるんだろうな。
私は何をすべきなのか。
何ができるのか。
毎日ハートに聞くようにしています。
まずは、どんな自分をも受け入れて、真の喜びを受け入れられるように。
これを書いている間も、何かが周りをひらひらしています。
はっきりとは見えないのですが。
何だろʕ⁎̯͡⁎ʔ༄
まぁ、そんな日々です。
お読みいただきありがとうございました。
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