前の記事で、他人と比べて私は可哀想だと思っていた過去を書きましたが、それは15年以上前のことです。
その15年以上前の私は、子供が天真爛漫で、しかも手が使えなくて幼稚園に多大にお世話になっていたということから、何か恩返しをしなければ、と、体調不良の自分を省みることなく幼稚園の役員になることに決めたのです。
幼稚園の役員はボランティアですので、何の支給もないわりに出費もあり、やりたいと思う人は少なく、むしろ、やりたくないという人の方が多かったのです。
その中で志願した人は数名いて、子供のため、幼稚園のためという明るい展望を持ち、そんな同じ志を持つ仲間として、私は急速に仲を深めていきました。
仲を深めていくうちに、親子の悩みを抱えていない人はいないとわかりました。
皆、さまざまな経験をしていて、同じように悩んでいる。
また、役員活動を通じて、多くの方の持つ悩みを知ることになり、
私が相談したいと思っていることを多くの方が悩んでいるのではないかと気付かせてもらったのです。
また、人が集まるところではどこでもそうですが、特にボランティア活動は、価値観も正義観も人それぞれですので、いろいろな意味で均一にということが難しい。
同じ悩みを持っていても、私のようにどんなことがあろうと解決を望む人がいれば、
波風たてずに現状維持がベストだと思う人、見て見ぬ振りをしたい人……さまざまでした。
泣いたり笑ったりしながら、思い切り学ばせていただいた時期でもありました。
良かれと思って平等に解決したことが、誰かの悩みになることもありました。
競争意識が高い方は平等なんて望まないからです。
この役員を引き受けて、自分自身とても学びが多かった出来事でした。
隣の芝は青いとは言ったものの、
私は、隣の芝は青くてステキって思っているけれど、
隣の人は自分の芝は厄介だと思っていた。
私からはステキと見えているのだから、きっとステキなものに違いないのに。
その逆に、私の芝をステキだと思っている人もいて。私はステキなんて思ったことなんてないのに。
きっと、悩みを解消することというのは、その人の奥深いものを癒していくしかないのだと、今ではわかるのですが。
その時は、なんでそんなステキなものを厄介だと思うんだろう、贅沢な、なんて他人に対して思ったりしたものです。
私も全然わかってませんでした。
悩みって人生における、贅沢なギフトなのかもしれません。
ただ、体調不良の悩みってギフトなんか思えないですよね、、私がそうでしたから。
続く
お読みいただきありがとうございます。
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病院でも原因不明、民間療法でも効果なし、食事療法や整体でも完治しなかった私の体調不良の原因は幼少期のトラウマからでした。
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