明王的な生き方は終わり。

今日は、上野の東寺展に行ってきました。
行きたいと思っていながら、最終日にギリギリ行けました。

しかし、混んでいました。

学生の頃、仏像を訪ねて旅をしたいと思ったこともあり、それを言ったら母から奇妙がられました。
自分自身も何故だかわからないのですが、仏像に会えるのはちょっと友達に会える感覚と似ています。じゃっかんアブナイ人。笑笑

会えたら何を話そうかずっと考えていましたが、いつも、考えていたこととは全然違う流れになります。

本日会えた仏像たちは、毘沙門天、各種、明王、菩薩、如来様。

もう、他の展示物にはあまり興味が湧かなくて、仏像まっしぐら。笑笑

入り口にいらした毘沙門天は生きているみたいでした。
密教の立体曼荼羅の仏像の展示会でありました。

そこで、密教の教えが簡単に説明されていました。
密教とは秘密の教え。
でも、秘密にも種類があり、教えてはならないと言う秘密ではなく、誰も分かり得ない教えだから、秘密という意味であると。

明王の上に菩薩、菩薩の上が如来という悟りの段階があり、菩薩が知ることのできない、如来しか知り得ない教えを密教と呼ぶとか。

それって、アセンションだよね?って思ったんですよね。あくまでも私の解釈ですが。
 
曼荼羅は様々な世界を表しているそうです。

並ぶ像はほとんどが平安時代から鎌倉時代のものでして。
今回、私は菩薩様とお話し(見つめ合う)するのがとても楽しく思えたんです。
でも、1番気になるのは明王でした。
明王には磁石があるかのように吸い寄せられる感覚。

でも、明王的な生き方は終わりだよね、って明王に言われた気がしました。
改心しない人を救うべく、鬼の形相で立つ明王たち。

これからの生き方はそうではないよ、と言われたような。

自分では気付かない、自分の中の宇宙の世界の選び方のポイントを教わった気がしています。
乗り換え駅を教えてもらったような。

自分の中の宇宙を表す曼荼羅は様々な世界があり、選択が自由なんだけど、1番今世、生きたいと思う世界がある事に改めて気付かされた気がしています。

そうだよね、明王はやめるか。

みたいな。笑笑
わけのわからないブログでした!

撮影オッケーの超イケメンの仏像さま。。。
生きてポーズとってるみたい。
若干、象がかわいそうな。