何者でもない自分と、無限の可能性
私たちは、それぞれ異なる視点を持っています。
同じ出来事を見ても、 同じ言葉を聞いても、 受け取り方は人によって違います。
それは、その人がこれまで歩いてきた人生や経験によって、世界を認識するための「パーツ」が違うからです。
例えば、「神様」と聞いた時。
ある人はイエスを思い浮かべるかもしれません。
ある人はギリシャ神話のゼウスを思い浮かべるかもしれません。
日本人であれば、天照大御神や大国主命を思い浮かべる人もいるでしょう。
見えないものや感覚的なものほど、 私たちは自分の中にあるイメージや知識を使って理解しようとします。
つまり、私たちは自分の知っている世界の中でしか、世界を認識できないのです。
だからこそ、 人生を豊かにするひとつの方法は、 「自分の中の表現のパーツを増やすこと」 なのだと思います。
本を読む。 旅をする。 自然に触れる。 神話を知る。 誰かの人生に耳を傾ける。
私は映画やドラマを見るのが好きです。
そうして自分の中に新しい視点が増えるたび、 世界の見え方も広がっていきます。
そして、イメージできるものは創造へと繋がります。
創造とは、何もないところから突然生まれるものだけではありません。
自分の中にある無数のパーツが組み合わさり、 新しい形として表現されるものだと思います。
私たちの中には、あまりにも多くの可能性が存在しています。
もし全てを同時に検索し、 全てを同時に表現しようとしたら、 かえって何も選べなくなってしまうかもしれません。
だからこそ必要になるのが、 「何者でもない自分」 です。
何者でもない自分とは、 役割でもなく、 肩書きでもなく、 過去の成功や失敗でもなく、 ただ静かに存在している中心です。
その中心から眺めると、
かつて怒った自分も、 傷付いた自分も、 喜んだ自分も、 夢を追いかけた自分も、 すべてが経験として見えてきます。
何者でもない自分は、 何者でもあった自分たちを否定しません。
むしろ、そのすべてを抱きしめています。 そして、その膨大な経験や智慧の中から、 今の自分に必要なものを選び出してくれます。
その時、 過去の経験はただの思い出ではなくなります。
それは新しい行動を生み出すための種となり、 新しい視点となり、 新しい可能性となります。
私は、その瞬間こそが 「芽吹き」 なのだと思っています。
何者でもない中心から、 無数の可能性の中のひとつが選ばれ、 新しい自分として芽を出す。 人生とは、その繰り返しなのかもしれません。
その一人一人の芽吹きは、世界を新しくする鍵ではないでしょうか。
それは、ギリシャ神話にある、神には出来ずに半神半人にしかできないことというのが、
これにあたるのではないかな、と私は思っています。
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