里山と畑と


3年前に、引っ越しをしました。

色々あり、引っ越したいと強く思ったからです。

かなり前から、新しい土地で活路を見出したいと思っていたのと、何より、自宅で家庭菜園ができるようなところで、緑が豊かなところで生活がしたいと思い描いていたからです。


実際ご縁があったのは、町からもほど近い里山でした。

古くから人々が生活をしていたところだったようで、開発時、縄文土器が出土して、工期がかなり遅れていたこともあり、たまたま私の探していた時期とぴったり重なってご縁があったのです。


当時、自然と言えば、人の手が加わっていないことだと思っていたので、里山というのに抵抗がありました。しかし、自分も畑をやろうと思っているので、それも自然とは程遠いのではないかと考えていたんですね。


学生時代は農学を学び、ランドスケープ(屋外空間のデザインや、都市部の環境など、会館風景全体をもさす)なども学びました。

私は、今の今まで、人間が農耕をするということ、また、ランドスケープを考える時、それはすでに自然の一部であるということを見落としていたのです。

私たちが人間である以上、私たちを取り巻く環境こそ全てでもあり、また、大切な一部であるのです。


前回のブログで書いたように、私たちは隕石でもあるかもしれない可能性。

地球に落ちてきて、初めは大地を荒らすかもしれない。しかし、それは自分でも着地のコントロールが不可能だっただけであり、隕石の中に在る可能性というものを使い、地球に豊かさを与えられるかもしれない存在であること。

また、それを望んで地球に引き付けられてきたこと。

(鳥が落とす種にも似ているなと書いていて思いました。)

全ては必然であること。しかし、可能性は無限大だということ。


このようなことは、先日、鹽竈神社でのライトワークで感じたことでもあります。

杉や檜は、もともと人が植林をして繋いできたという歴史があり、杉や檜は保水力の高いことから、土壌を豊かにし、私たち人間をもいろいろな意味で潤す力を秘めています。

(昨今流行る花粉症は、自然に目を向けよという警鐘でもあるのではないかと、私は思います。)


私たちが龍脈を通じて繋がることは、全体としての大切な一部分でもあること。

その一部分は大切な主だったものでもあることであり、通常、切っても切り離せない繋がりがある。


環境を整えることの大切さは、今や多くの人が認知していることです。

人間の生きるという誓願というものは、地球に立つという意味でもあると思っています。

その人間のワクワクとやりたいことは、到底地球のために思えないようなことでさえも、

地球が輝くことに繋がっていくのは必然ではないか?と思うのです。



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