自分軸で生きるということ 〜あの頃の私へ、優しくなるために〜

昨日、SNSでたまたま目にした投稿がありました。

若いパパが、初めてお子さんを保育園に預けた日のことを書いていたのです。 

 その日は、子供がギャン泣きしてなかなか離れようとしなかったそう。 

でもその様子を見て、

「こんな僕でも、父として認識してくれてる。離れたくないって思ってくれてるんだ」と感動し、

胸がいっぱいになったといいます。

 それ以来、保育園への送り迎えが楽しみになったんだとか。


 その投稿を読んで、私もふわっと幸せな気持ちになったのですが、同時に、ふとあの頃の自分を思い出しました。

私も、子供たちを保育園や幼稚園に預けた時、ギャン泣きされました。


 でも、私の中に湧いたのは「幸せ」ではなく「罪悪感」でした。 

 

「泣いてるのに、無理やり預けて…私、ひどい母親なんじゃないか」 


悪いことをしているわけではないはずなのに、なぜかそう感じてしまった。 


 そして私は、メンタルがやられてしまい、 昼間にそっと幼稚園まで様子を見に行ってしまったこともあります。

 もちろん、門の外からです。何も見えないんですけどね、笑。 


 あの時の私は「自分軸」で生きていなかったな…と、今なら思います。 


 「自分軸」とは、自己中心とは違います。


相手の気持ちを尊重しながら、自分の感じ方・考え方も大切にすること。


 自分が心から幸せだと思える選択をして、そのうえで相手の自由も愛おしく思えるような在り方。 


 でも私は、泣く子を前に、自分の選択を信じられなくなってしまった。


 「この子は辛いのに、私は楽をしようとしているのかも」

なんて、勝手に決めつけてしまっていたんです。


 それはつまり、「子供の成長を信じていなかった」ということでもあり、 

「私の選択=世界を信じられていなかった」ということでもあります。


 相手の気持ちを汲むあまり、自分を責めてしまう。 


そんな状態では、きっと誰の幸せにもつながらないんですよね。 


 今なら思います。

 あの頃の私に、「大丈夫、大丈夫」と言ってあげたい。

 あなたは一生懸命だったよ。

 あの時のあなたも、愛だったよ、と。


相手の気持ちがわかるだけに、「何かしてあげたい」と思ったその気持ちは、決して無駄ではない。 

でも今思えば、それは相手を信じきれていなかっただけなのかもしれない―― そんなことをふと思った、ある日の出来事でした。


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