今朝、ある人にメールを送るときに思ったんです。
生きるのって、死ぬのって美しいの?って。
生命の意味。美しいかどうかは知らないけどってなんか突っぱねている自分がいました。
送ってから気付いたのですが、「美しく生きること」にこだわって、自分を縛り付けてる自分がいる事に気付いたんです。
美しくって、見た目の問題ではなく。
完璧にとか、そういう意味です。
そもそも完璧という概念はそれぞれなんでしょうけど、
「人を傷付けずにほのぼの長生き!」ということが、私にとっての完璧らしく。
過去世は、「完璧に生きれなかった」という経験から、現世の自分を縛り上げていたことに気付いたんですね。
ニュースとかで、若くして亡くなった人を見た時は、長く生きられないことに衝撃を受け、完璧に生きれてないと思って辛かったし、人を傷つけて生きた人を見ても、完璧に生きれてないって我が身のように辛く思っていた。
過去世を全否定していたことなんですよね。
逆に、今世は必ず完璧に!って思っていたんですね。
それが、ある意味、呪いでした。
自分を縛り上げてる呪いのひとつ。
だから、こだわってしまうし、逆に動けない。だから何?みたいになる。
理想を掲げるも、呪いで気持ちが付いてこないから、動けない。
私たちの元々は、無条件の愛から生まれてきているものなのだと思います。
だから、無条件の愛は、光も闇をも満たすことができる。
宇宙のエネルギーの基盤なんでしょうね。
ニュートラルな愛というか。
私自身も、この、「無条件」という領域にいる事が大切なんだな、と気付いたわけです。
無条件という領域の自分なら、どの場面にでもエネルギーが注げるし、創造も容易だ!みたいな。
悟りを開けたらいいのかもしれないけど、それだったら人間やってないと思う。笑
呪い解除ワークを自分にかけて改めて気付いた事なので、ワーク効果かな?と思いますが。
よく、スピリチュアルとかで、ニュートラルを目指すとか読んでましたけど、ニュートラルがなんたるかが、わからない。
なんか、違うなって思ったりするんですよね。
それは、人によってニュートラルの領域って微妙に違うからなんですよね。
呪いはある意味、その人の人間的な望みなんだなと思いました。
だから、必要と思い込むと厄介。そうでなければ生きれないって思うから。
私の場合、完璧に生きるという呪縛は、自分が理想的に生きれなかった過去世の過ちを全否定していたので、現世で出てきた能力も、幸せですら、受け入れられなかったんですよね。
過去世があるから、今がある。
だから、何度も生まれ変わってきている。
若くして命を終えようとも、人を傷つけて悔やんでも、それは経験の一つとして、今、活かせばいいのだと。
ご案内中の呪い解除ワーク、
この、認めたくないような、両極端な自分を受け入れ、ニュートラルの領域を見出すワークだと思います。
何となく、呪い解除して、宇宙の中心に自分を置こう!というワークっぽいからか?、、一斉ワークでは宇賀神さまが手伝ってくれそうです。(なんか、宇賀神、宇賀神って降りてくるので。)見た目、おじいちゃん。
サンダルフォンと宇賀神ってオトモダチかな?
何回でも納得するまで受けていただきたいワークかなと思います。
うーむ生きるとは。
自分を、認めていくことなのかな。
それぞれの人が思い込みをなくして、それぞれのニュートラルな愛に気付いていけると、宇宙は豊かになるんだろうなぁとも思った次第です。
お申込みいただいてる方々ありがとうございます。
お役に立てれば幸いです。
よろしくお願い致します。
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