投げやりでもいい?

写真は青木ヶ原樹海にて。꙳✧˖°⌖꙳✧˖°⌖꙳✧˖°⌖꙳✧˖°⌖꙳✧˖°⌖
何年か前に、ある先生に、私は投げやりに生きていると言われたことがありました。
今から見れば、だいぶ自分を粗末にしていたし、自分というものをぞんざいに扱っていました。
スピリチュアルで自分の人生を見直して生きるということを学び始めてるにも関わらず、あぁ、私は未だに投げやりに生きているのか、とガッカリしたことがありました。

しかし、つい先日、違う先生から、投げやりに生きていると、適度に力が抜けて覚醒しやすいこともあると言われ、ハッとしたのです。

人間は、今自分に必要なことが起きているんだなと。

数年まえに投げやりだと指摘され、自分を大切にしていないことがわかり、投げやり(だとは意識してなかったけど)はやめて、丁寧に自分を大切に生きようと決めて今があります。
しかし丁寧に暮らそうと決めても、投げやりさはそう簡単に消えるものではなく、でも、それが逆に良い塩梅の適当さになっていることに気付きました。

絶対こっちじゃなきゃイヤだ!ということはなく、どちらでも良い。どっちでもきっとうまくいく。と思える自分というのがいます。
力が抜けていて、ある意味覚醒しやすい体勢。

ただ、自分が嫌なことはやらないと決めました。
そこは自分を大切にするという原点であるかなと感じます。
それは丁寧に線を引けるようになりました。

自分が嫌なことを「納得せずに」している時は、自分から光など出るはずなく、ただやらなければいけないと人生を暗闇を迷走している。

自分が自分を大切にしながら何かをしている時、特に喜びに沿って生きている時は何かしらの色と光で表現出来るのだと思います。
色は3次元的な光でもあります。

自分の光は、引きつけ能力でもあり、魂の誓願とも言えます。ただ、光を出していくには自分の闇も需要していく必要があります。
真っ暗闇を迷走するからこそ、見出せる光もあり、光だと認識できるのだと思うのです。

光が強い人ほど闇は深いので大変ですが、逆に、それだけのキャパシティがある存在、豊かな存在であるとも取れます。
まぁ、かなり楽観的に書いてます、、、それも投げやり効果か、笑

人生は大変なこともありますが、だからこそ自分の色を探して楽しめるのであるとも思います。

私も大変なことから自分の色を見つけることに気付くことができ、その時の自分の色を選び、次の色を探しながら、ここまで来ています。

暗中模索という言葉がありますが、私はやっと、暗中から抜けて、人生の色が選べるようになってきた実感があります。

どうせなら楽しく生きたい、幸せに生きたいと思うのは、私だけではないと思います。

覚醒したいけど、変化するのは恐いですよね。
私もその中の1人ですが、スピリチュアルな出会いを通じて、前進し続ける覚悟が徐々に芽生えました。

これから更に、私自身が喜びを持って、ご縁のある方が幸せにご自身の光を見出して行ける覚醒のお手伝いをさせていただきます。

愛と感謝を込めて。


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TOMOKO ANDO

あなたの幸せの可能性を引き出すお手伝いをさせていただきます。
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