渾沌の中を生きる
おはようございます。
レムリア神殿無料イベントは今夜までです。
よろしくお願い致します。
すでにご感想くださってる方々、ありがとうございます!
ワクワクを感じていただけてるようで嬉しく思います。
さて、昨夜はノーベル賞を受賞された博士の心意気に改めてリスペクトです。
様々な言葉が取り上げられていますが、私が胸を打たれたのは博士が研究生などに送った色紙の言葉です。
渾沌(こんとん)
様々なものが入り混じる中、本質を見極めて追求する。物事を俯瞰する。
暗闇の中で光を見出す。
↑そんなニュアンスだった!
そんな意味合いを込めて、色紙を贈っていたものらしいです。
渾沌とした中に身を置く心意気を改めて教えてもらった気がします。
渾沌・混沌…の中に長く身を置くことは容易ではないと思います。
現に、渾沌としている現在では、ライトワーカーさんと言えども、グラグラ揺れている方がなんと大勢いることか。
自分も、体感からもグワン!と揺れる昨日今日、突然不安定になりがちですので、自分を俯瞰する事の大切さを実感しています。
色々と入り混じる中で、自分の真実を見出す事って難しいようだけど、ある意味、渾沌の中はなんでもある。
捉え方次第で、組み合わせ次第で、どうにでもなる気もして。ただ、愛と調和にのっとった自分の喜びを信じていく事に集中すれば…
まぁ、これが難しいんだけども。
ちょっと数分だけ観たテレビでしたが、博士の心意気にリスペクトです。
意識を持って物事に取り組む事って無駄じゃない。
人から見たら、何にも気にならないことが気になったなら、それは、そこの本質を見出す能力が自分にあるからかもしれない、と思ったら、なんか気が楽に。むしろ、楽しくなってきました。それって個々の特殊な能力じゃない?って。
私は答えを急ぎがちで、物事の本質とかをすぐに知りたがり大騒ぎするのだけど。
答えのエッセンスは、日々を大切に過ごす中で、きっと自分のわからないところでも、日々濃くなっているのかなと。
自分を信じてあげる。自分の気持ちを諦めないって事かな。
私は、争いに発展させるほどに人の気持ちに逆らう事は不本意なので、なるべく穏便に済ませたいほうです。
黙ってるのが吉なら、黙ってるように心がけてます。が。
余談ですが。
PTAのボランティア活動をしていた時、先生にお礼の気持ちを込めて企画したものが、ある人からは「やり過ぎ」と言われた事があり、お節介かな、迷惑かなと思ってかなり揺れたけれど、やりたかったので、協力してくれる仲間もいたので、やり切ってみました。
当時、大半の方は気持ちを表すのに喜んでくれて、無事に終わったものの、やり過ぎと言った方々とは疎遠に。
しばらく考えたくなくても、街中で渦中にあった相手を見かけると、浮かんでくる事柄で、大勢の人の集まりの中での気持ちの温度差の集約というものはいかにすべきか?は、私の課題でした。
しかし、お礼を伝えた先生は30代はじめで亡くなってしまった。衝撃的な出来事でした。
その時、改めて、やり過ぎって事もないのかもしれないと思いました。
衝撃的な出来事から半年経ちましたが、昨夜、博士の言葉が真っ暗闇の私に1つ火を灯してくれたような気がします。
事柄はだいぶ違いますが、気持ちを通して、やり切って良かった、と。
大勢の人の集まりの中での気持ちの温度差は、正に渾沌そのもので、様々なものが入り混じっている。
その中で、自分の気持ちに賛同する仲間と集約し、カタチにする。自分の思うカタチでやり切れたのは、結果的に喜びだと。
そこで知り合った仲間は、心の友であり、今でもリスペクトしかない仲間です。
渾沌の中を生きるには、
自分を信じていく。それだけな気がします。
ただ、自分を信じることが簡単に出来ないから揺れるんですけどね。
瞑想が本当に大切だと実感しています。
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