シャーマン

安藤智子です。

関東は雨で肌寒い日ですね。

先日の実家の怪奇現象の話しを聞いて、上の子が怖いもの見たさで泊まりに行ったのですが。

私も、私の子ども2人も、元々シャーマンの魂らしく、上の子が何かやる事とか、受け取る事があるのかな?と思って行かせたのですが。
一応、こんな時の為に、ライトガーディアンイニシエーションを受けさせてもらっておいたので、安心して行かせてあげれます。

もちろん、ドアホンの件は解決済みなので、鳴ることはなかったそうですが、夜中、ちょっと大変だったようで。

上の子にはライトガーディアンの他にも、しっかりプロテクションはかけていたのですが、まぁ、夜中、話しかけられたらしく。

頭の中のキーン!という音とともに、目の前で、まぁ賑やかに話しかけられたそうで。

一緒に寝てくれた私の父は、高いびきで寝てたそうで。

目を開けたら見えちゃうよねー
絶対いるよねー

って、静かになるまでやり過ごしたそうで、あんまり寝れなかったみたい。
しかし、不思議と怖くはなかったそうで。

いかに、普段寝ているところ(第一級聖域)がありがたいか実感したそうです。
特に説明もしていないのですがね。

第一級聖域に入るなり、

ここは何にも飛んでなくて綺麗だねー

って上の子はおもむろに呟いたりしたので、親ながらドキドキします。
そういうこともあって、私は覚醒を急かされてるのだろうというのもあるし、人間の私自体が、まだ覚悟が足りないのかな?とも思います。


覚悟というか、まだまだ人間としての私がバリバリで、死に対して恐怖を感じていたから。
なぜかと言えば、出会った人と別れたくない。
その気持ちが強くて、どこかで理解しながらも、悲しい感情があふれてくる。
「出会えた感謝」より、「別れて悲しい」
、が強いのだと自分で感じています。

別れて悲しいってなんで思うんだろ、とずっと考えていました。

別れた後に、私にもっと出来ることがあったのではないかと悔やんでいたから。
どこかで死期を感じていた私なのに。
それを否定しながらも、離れる事もできず。

もっと良い言葉をかけられたのではないか、
もっと側に寄り添えたのではないか、とか。

でも、それって、私のエゴかなって。

一生懸命に生きた人を、死後、私のエゴで汚してはいけないって感じますが。

亡くなってもなお、生前のように笑顔で来て、

安藤さん、連絡取れなくなっちゃいました。
ホントにスミマセ〜ン!

って挨拶までしてくれたのに。

私は悔やんで悔やんで、半年経とうとしています。
自分のエゴに振り回されて。
癒されてない私が、シャーマンで癒すなんて、変な話しだとも思い、笑うしかない。


その人が亡くなった出来事で、私は元シャーマンだと気付く事が出来た。

そういう意味では別れも感謝だけど、そうスパッと割り切れるものではないよね。
出会いは本当に感謝でしかない。
別れは突然で悲しすぎて試練のように感じたけど、捉え方で、新しい可能性の始まりだということも教わりました。
お互いに、新しい道を選べる。
次なるステージへいける。

約半年たち、ようやく、そんな考えができるようになりました。


これこそが、宇宙の縮図なのかな。
何かが生み出される前の混沌ってこういうこと?

どんな時も、自分から揺らいじゃいけない。
自分が揺らぐと世界も揺らぐから。

人間だから、揺らいじゃうけどね〜


でも、揺らぐ魂ひとつひとつの宇宙を捉えて、それらを活かし、自らが生きるのがシャーマンならば、揺らいじゃいけないよね。

自分が安定して立てる位置を見極めなきゃいけない。

サバイバルウェディングっていう、波瑠ちゃんのドラマを観ていたのですが、最終回で、

自分が何を選択するかじゃない。
自分の選択した人生を、力強く生きることが大切!

みたいなセリフがあって、ちょっと刺さってます。
揺らがずに力強く生きたいな!!って思いました。

シャーマン気質の子どもたちのためにも、切に感じます。

なんだか、シャーマンの話しになっちゃいました。

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