人間って相当ミラクルかも

昨夜、アリの生態の番組を偶然観ました。

アリって、生まれてからずっと役割が決まっているそうで。
種類にもよりますが、一生ずっと卵を産み続ける女王アリ、ずっと巣の中にいる働きアリ…

働きアリの中には、巣の中で、ずっと固定位置にいて、ほぼ動かずに仲間に栄養を与えているという役割のアリもいる。

そのアリを見て、出演者の1人が、

可哀想だ

と言ったのですが。

確かに、自由でないようで可哀想。

でも、果たして可哀想なのだろうか、と思ったのです。

アリの世界は、私には、人間の身体の器官とダブりました。

それぞれに意識はありながら、それぞれに黙々と機能している。
ある器官は空気を取り入れ、ある器官は食物を消化する。
ただ、基盤を整え、やるべき事を全うしている。

それは、人間の身体だけの話ではなく、地球の話だとも感じました。


アリは、ただ、役割を全うすることが喜び。
それは、嬉しいとか、楽しいとか、人間の感情とは異なる喜び。

役割を全うすることが、純粋に生きるという喜びなのだ、と。
たぶん、苦ではなく、愛なのだろう。

きっと、それは私たち人間が忘れかけている、請願にも近いものなのだろうな、と。

人間には感情があり、取り巻く環境によって自分の立ち位置を変えることもできる。

人間以外の生き物は、地球という基盤を最低限守るために、純粋な役割を担って、そこに忠実に生きているのだろう、と。

ではなぜ、人間は立ち位置が変えられるのか?

それは、「創造の可能性」を広げていくためだろうと。
宇宙の賭け。

人間もそれぞれ、いくつかの成し遂げるべき、請願という愛を誓い生まれてきている。

ただ、多くの人がそれを忘れてしまっていて、自分を見失なっている。
そうなると、創造の可能性までうやむや。

人間は限りなく不安定に出来ているのは、創造への振り幅を効かせるためだったのか、とちょっと納得。
光が強ければ闇も際立つ。
統合するってどういうこと?


役割を全うするアリは、光も闇も網羅してるではないか。統合してるって、つまりはこういうことかぁ、と思ったのです。
シンプルながら、すばらしい。
この、シンプルなことって、人間って感情や常識に縛られて、やり遂げるのが難しいんだろうな、と思います。

誰から何と思われようが、その人が愛を感じるならば、すなわち創造の始まりなんだろうな、と。
自身が生まれて来るときに誓った、魂の請願と、その愛による創造がミラクルを起こして変化させることができるのは、人間という魂の醍醐味かなぁ、と思ったわけです。

いくつかの請願って、人間の感情とは切り離した所にあるかもしれないとも思ったのです。

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