可能性に気付くこととは

新生レムリア神殿無料イベント次回は15日開催です。
お申込みは下部にあります。
さて、イベントでは地底世界と繋がることで、参加者の未知の可能性を開くことを目的としていますが、
可能性とは。

未知の可能性に気付くことは喜ばしいことであるとともに、不安を感じる方も少なくないと思います。

また、可能性に気付いても、動かない、動けないこともあります。それは怖いから。

でも大切なことは、一歩踏み出すこと。
周りが誰もやってなくても、
未知の可能性に気付き、不安が募る中でも何かしらの希望と愛を見出せたら、一歩進んでみる。

私は新しい事が大好きで、やってみたことがないことに次々とチャレンジしているのですが、

最近、気付いたのは食べられないということについて。
年が明けてから、自分が何を食べたいのかわからなくなってしまい、本当に食べたいものは何か?を問う毎日でした。

食べなくても過ごせている自分がいます。

乳製品は前から苦手で、小麦は数年前から薄々食べるのが苦手ではないかと気付いていました。
ラーメン、パスタなどは大好きだったのですが、食べると翌日体調が悪いということに改めて気付きました。

私は年齢と共に、身体が弱くなったのかなと思っていました。しかし、スターシードが本来の自分に覚醒してくると、小麦や乳製品や肉類などが身体に合っていないことに気付いてくるそうです。

体調不良になるのは、本来の能力を活かすために身体が合ってないよーとサインを出しているということ。

肉類や魚類も食べれないわけではないのですが、食べたくなくなりました。
最近では豚肉や魚は、口に入れると違和感が……
とても好きだったのですから不思議なんですが。
卵は食べる事が出来ます。

年齢的に弱くなったのか、それとも今食べれないだけなのか?とチャレンジ精神旺盛な私は、口にしていましたが、
食べれないと感じるものは無理して食べなくても良いんですよね。

ただ、会食などでは迷惑かけてしまうので、ちょっと気が引けますが……

食べれないものに気付く。

体調崩してまで、本当にそれって食べたいの?

という私の中から声も聞こえてきたのです。

今まで食べていたものをやめる。

些細なことですが、これも未知の可能性の一歩だなと。

ただ無理矢理やめるという形ではなく、現実に起こっていることに気付いて、俯瞰して行動に移す。


ただ、巷には小麦製品に溢れていますし、パンや麺類は美味しいのを知っているので、食べないという選択は、寂しい気持ちもあります。
私の幼少期、家は祖父の切り盛りするパン屋でして、残りのパンをいただけるような毎日でした。
当時を振り返ると、その時は酷い喘息持ちでその他のアレルギー持ちでもあったので、その時から合っていなかったのかもしれません。

家族が食べれるのに、私だけが食べるのをやめるというのも多少面倒ではありますが、自分の身体の声を聞くのであれば、必然でした。

幸い日本という国は恵まれていて、パンが食べたいなと思ったとき、小麦を使わなくともパンを作ることが容易でした。代替え材料の食料がたくさんあることにも気付きました。
最近は米粉やじゃがいも、キャッサバ粉を使ってパン作りを楽しめるようになってきました。

人生って毎瞬間の積み重ねだと言いますが、本当にそうだなと思います。

スピリチュアルを活かして生きることは、本当の自分を生きることだと感じています。
逆説的ですが、今の自分に合った生き方を選べると、選択肢、可能性も広がっていくのではないかと感じています。

お読みいただきありがとうございます。