愛って

夜が冷えるようになってきました。
季節の変わり目は1番身体を労らなくてはいけないですね。
今日の昼間に畑に行くと、まだまだミニトマトがなってくれていて感謝。
でもだいぶ落ちてしまったものも多く、夏野菜も終わりだなぁなんて感じました。

さて、最近、日本の超古代文字を毎日書いています。
神代文字と呼ばれる文字は、各地で発見され、さまざまなカタチがあります。
文字と言っても、今のように手紙を書いたりという使い方ではなく、呪文や護符だけの目的で作られたような文字です。

有名なのはカタカムナや龍体文字などですかね、
日本の文字だと認められてはいませんが、これだけ日本全国にさまざまな文字が残っているのに、日本古来の文字はなかったとしてしまうには限界な時期ではないでしょうか。

龍体文字などは手紙を書くには不向きだと感じるくらい難解。

カタカムナは、宇宙のシステムをわかりやすく簡単に示している感じがします。

私もメールのご相談など受けてますが、文字って必要以上にエネルギーを秘めている。
おそらく書いている人の「念」というものが乗るんですよね。
念というか、雑念です。

しかし、このカタカムナなどは乗らない。
書いていて不思議な感覚です。
人のカタカムナを見ていても、清々しい。

カタチには意味があると体感してきていまして、
とくに、日本語というものはよく出来ていると感心しています。

アセンションして、5次元愛の時代になるといいますが、そもそも、「愛」という定義が人間としては捉えにくい。
下手すると「憎しみ」も腐った愛のカタチなので、偏った愛だったりします。

それを、古代日本流に解釈すると、
あ  始まり 高い世界 すなわち宇宙
い  意識、意志

要するに、愛は、宇宙の始まりの意識。

私たちの意識は愛から始まっていると説いているように思えるのです。

私たちの元の意識はただの高い意識の愛でしかない。

私たちの世界はとてもシンプルではないかと思っています。
ただ、雑念ばかりが溢れている今、本当の自分を見失ってる人が多いだけ。

本当は誰も、愛から始まっていて、それぞれの方向性を持っています。
幻想から覚めて自分を見付けるには、根気がいります。
自分の中を見つめることに時間をかけることで、視界が拓けるのです。
外ばかり見ていては、細い道しかない。

元々、私は超古代文明が好きであったために、そこを趣味で追求していったところ、カタチや時間に捉われない世界と、カタチや時間に捉われている人間の世界を垣間見ることが出来ています。

この世界は制限がありますが、今は抜けようと思えば抜けることも可能な時代です。
自分の始まりの愛を頼りに、自分独自の幸せな生き方をスタートできる時なのです。

多くの方がなんとなく気付いてきてます。

あなたの幸せはなんですか。

私は、誰に咎められることなく、宇宙のシステムや地球の仕組みを古代文明から紐解くのが幸せのひとつです。
つまり、結果ではなく、経過が楽しい。
生きるということは、非常に流動的であり、不確実です。
そこをいかに乗るか、なんですよね。
ただ、川の激流に流されてヘトヘトに生きるのと、流れを読み、船に乗って生きるのでは生き方がだいぶ違うと思いませんか。
川の激流も元を辿れば自分の始まりの意識なんです。要するに愛。

確実なのは、自分の愛だということ。
自分の愛ならば、変えることが可能です。
自分を愛してみてください。

今の私は、激流を、古代文字を書くこと、古代文明を探ること、畑仕事、瞑想で治水しています。笑
自分を愛する方法は人それぞれ。

お読みいただきありがとうございます。