全ての鍵を握るのは

こんにちは。
すっかり秋モードの神奈川です。

私的な話しを毎度しておりますが。
皆さまにも通ずるものがあるかなとシェアしてます。

と言いますのも、この半年で新しい出会いがあり、その方々の私的なお話しを聞かせていただく機会に恵まれまして、それが「私」というものを理解していくのにとても重要で、ありがたいな〜と感じたからです。

ヒーリングやエネルギーワークの感想シェアもそうですが、他人事が耳に入る、目に入るのは、自分に何かしらの意味と学びがあるからなんですよね。

私の場合、セッション中、多数の方の発言された中の自分にとって気になったワードを書き留めて、後で繋げたりすると、ハッと気付きがあったわけです。
また、話しを聞いた時の感情の揺れに気付くことで、自分のこだわりや癒されていない部分がおぼろげに見えてきたんです。

他人さまは鏡。
そう実感した半年でもあります。

気付いたら、そこからどうするのか。

気付いたら、そこを抱きしめるしかないですね。
無条件の愛のヒーリングが出来る方は、そこに送る。

傷に気付くと、その場所が疼いたりするんです。
でも、気付くと不思議と薄れてく。
今の私には理解出来ない部分だったりするので、ただただ、抱きしめて受容する。

なんでも自分で出来ると思っていたものの、

他人でなければ解けない封印もあるし、他人でなければ癒せない部分もある。

だから、他人がいる。

他の人を頼ってもいいんだよ。


と数年前に言われたことを忘れたわけではなかったのですが、私も自分でなんとかしてやる!と頑なだったのかもしれないと。


いつ何時も、抱え込まずに、素直に他人さまにお願いして、しなやかに生きていきたいなと昨日改めて感じました。

もともと、人と話すのは好きなので、繋がりはありがたいと思っています。

今まで自分でなんとかしなければいけない状況に自分を追い込み、必死で生きてきたなーって。
それも悪くはないのだけど。
どう生きていきたいか?を自分に問うてなかった。

しかし、どう生きたいかを決めていた過去世もありまして、でも上手くいかなかったと思い込んでいたのです。

以前も書きましたが、私の過去世のひとつの側面にお坊さんだったことがありました。

その方の苦悩は、悟りを開けないこと。
悟りとは何か。
人を救うとは何か?を突き詰めており、また、既存の仏教の教えや政治の在り方に疑問を持って生きていたのです。

自分なりに万人が豊かに幸せになることを追究し、新しい宗派を開いたものの、自分を許せない人でもあったのです。

悟りが開けていない、凡人の自分が嫌いだったのです。
それは死ぬまで苦悩しておりました。
そして、人を人とも思わぬ行動に出る役人が嫌いで恨んでいた生涯でもあったのです。

この過去世の自分は、私の若い頃から、耳元でお経を読んでみたり、昼寝なんかしてようもんなら私を罵倒してました。

また、このお坊さん自身が、自分の生まれた寺を出た事から、生まれた寺にいたのであれば悟りを開けていたのでは?と悔やんでいたので、私にその寺に行くように、夢に出ては誘いました。(行ってませんが)

しかし、この半年で、私が人間というもののシステムを学び、新しい方々との出会いを通じて理解したことにより、このお坊さんの呪縛が解けたんですよね。

人間なのだから。
人間として生きていること自体が素晴らしいこと。

最重要は自分を認めて生きること。


たぶんその人は、上手くいかなかったわけではなく、上手くいかない経験をしたかっただけ。
でも、側から見れば、成功しているようにも見えるんですけどね。自分はその人生に納得がいかなかったんです。


宇宙の仕組みとして、過去も今も未来もたったひとつの点の中にあることを実感して。

一生懸命に今を生きていれば、過去や未来の糧になる。


過去も今も未来も、魂はトータルで学んでいるんだなと思います。

人は自分の過去世ですら、分けて考えがちだなと。
……今が大切だから、分けるのは当たり前なんだけど、日本語難しいな、笑、結局は今を軸にしてひとつというか。
関わるお他人さまも鏡だし、
ワンネスって単純でも3次元マジックで複雑なんだなぁ。

マインドフルネスという言葉も流行っていますが、それの意味もなんとなく、理解してきたというか。

今が、全ての鍵なんですね。
今を精一杯の幸せに生きる。
これに尽きるのかな。

今日もこれをお読み頂いている皆さまに、たくさんの幸せな気付きがありますように。

ありがとうございます!
出会いに感謝。