立春のダウンロード、瞑想と宇宙

こんばんは。
レムリア神殿イベント、今日の24時までです。
ご参加の皆さま、存分にご活用くださいませ。

本日は立春ですね。
昨日、今日と、濃い情報のダウンロードがあり、いろいろと腑に落ちました。
(あ、なぜか、Facebookも昨夜からアクセスできるようになり、ビックリ。ちょっと受容があったのだと感じています。不思議と心のわだかまりはなくなりました!)

私のイベントの神殿、宇宙にぽっかりと浮かぶ形で在ります。

私は宇宙的に物事を理解するせいか、人間的には、ちんぷんかんぷんな部分も多かったのですが、点と点が繋がるような、ダウンロードがありました。

わかりやすい話しで言えば。
瞑想の時、無になるとはどういう事なのか体感として落とし込めてなかったのですが。

子どもの時に、ネバーエンディングストーリーという映画の中で、虚無が来る!と主人公が恐れていた事象があり、虚無ってなんだ?とずっと思っていました。

虚無とは、何もないこと。
何もない。
以前、博物館で見た、宇宙の始まりの絵ですが↓
宇宙は虚無から始まったわけです。
そして、宇宙は今でも少しずつ大きくなってきている。
要するに、今現在では3次元的にも豊かなフィールド、振り幅があるんですね。

全ての星はそこに在るというだけの話であり、そこに存在する私たちのひとつひとつの事象ひとつ取り上げても、良いとか悪いとかではないんです。
ただ、在るだけなんです。

この絵をみて、ここが悪い!という視点はないですよね。

私たちも宇宙と捉えられます。
私たち個々の今までの経験は、上の図のように振り幅、スペースがあるわけです。
それこそ、魂が生まれてから今まで、前世やパラレルなど捉えきれない経験があるわけです。
それを大まかに絵に表すと宇宙と同じです。
今でも経験という幅が広がっていくだけで、良い悪いではないことがわかります。
均等に広がりを見せる私たちは、むしろ、完璧なバランス。

でも、始まりはひとつ。
宇宙はおそらくブラックホールから始まると、子供の時に何かで読んだことがあります。
ブラックホールの先は、別の宇宙だという話しです。

瞑想をする時の話しに戻すと。

そんな莫大な経験を積んできた私たちです。
無になるというのは、
頭を空っぽにするわけではなく、
瞑想中に壮大な経験の数々が浮かぼうとも、
それに惑わされることなく、
ブラックホールでいること。


ただ、受け入れる。
吸い込む。
新しい宇宙の創造のために。
原点に戻る。
つまり、ニュートラルとは、こういうこと。

瞑想は、経験という様々な思いをただ、
自分という宇宙の原点に落とし込む作業だと気付いたのです。

若干の語弊はありますが、ずっと無ってなんだろうと思っていたので、ちょっとスッキリ。

無とは言え、無ではなく、ブラックホールのような、うーむクリアな(と言ったら良いのか?)闇なんだと思います。
濃い濃いエネルギーで、いわゆる源とも呼ばれる見えない光も内包しているのかなと思っています。

だから(だからって……わかりますか???)、私、地球にいるんだな〜、と初めて実感しました。

ちょっと、瞑想するのが楽しみになりましたが、いつも恐怖体験を思い出すのは揺れるよねーーー

そういう意味で、「全てを受け入れる無」になるって人間的にはちょっとコツがいる難関なワザなのだと感じています。

つぶやきでした。
お読みいただきまして、ありがとうございます。