自分の存在意義

おはようございます。
神奈川は肌寒い曇り。

自分の存在意義というお話し。

私の場合ですが、小さい時から目立ちたがり屋で、誰かに認められたくて、自己主張が強めの子どもでした。
良い子を演じることで認められると思っていました。
が、それはいつもいつも空回り。

やればやるほどドツボにハマり、行き止まる。

学生時代はワルぶってイキがるも、かなり中途半端。
良い子を演じながらもイキがる感じでどっちつかず。

社会人になって、自分自身と少しずつ繋がりつつも、まだまだ空回っていました。

自分が認められたくて、周りばかり気にしていたからです。
未だにそのクセは尾を引いて、抜けにくい罠です。

自分という重心を保つよりも、他人に寄りかかるクセ。

今わかることは、自分自身の価値は、人が決めることではないというか、決められるものではないと思います。
以前の私は、人に私という価値を認めるように、責任を押し付けていたんです。

他人が自分の価値を決めるとき、職場だったら、
仕事量とかで決められる。

私は仕事が出来ない=私はダメな人

となるわけで、自分は価値がないと思ってしまいがちです。

でも。

人の価値って生産性でもなんでも無いと気付きました。

ただ、生きている、それだけで価値があります。

そこに居るだけで意味があるからです。


その意味は、自分ではわからないし、確証も持てないですが、居るだけでいいんです。

居る場所が心地良くなくて、自分が腐っていくような場所に思えたなら、心地良い場所に移動するか、心地良くなる場所にすればいい。

決めるのは全部自分です。

この激動の時代、心地よく居ること、在ることが出来ると、とてもいいのかなと思います。

TOMOKO ANDO

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